世界貿易センタービルの倒壊の映像より飛行機が突っ込んだ時の映像のほうがインパクトがあるのは、われわれがニュースやバラエティでビル爆破の映像を見慣れているからです。1940年5月、アドルフ・ヒトラーはコンピエーニュの森でフランスに降伏文書に調印させたが、同時に先の大戦でフランス軍司令官だったフォッシュ元帥の車庫を始めとする建物を爆破し22年前の屈辱を晴らし、その模様はナチスのニュース映像として広く公開され国民を喜ばせた。堅固な筈の建築物が爆破され一瞬にして倒壊するという映像は観る者の内部の暴力的衝動を満たすところ極めて大であり、ファシズムが国家的に利用したこの「本来性への希求」(アドルノ)のためのテクノロジーは戦後も国家的中心を失ったまま存続し、例えばゴジラが建物を破壊して回る様子に人々は或るカタルシスを覚えるのである。有志の読者はデフ・レパードの「Pour Some Sugar On Me」(1989)のビデオクリップなどをも想起して頂きたい(メンバーがその中で演奏している家を近所の人々がハンマーや建築車両で次第に破壊して行き最後にはダイナマイトで爆破する、というもの)。アメリカはこのテロを「戦争」と捉えつつあるようですが、それは頑張ってミサイル防衛なんかしてもテロには無力だって事ですよね。アハハ。ていうか電撃戦→戦略核→ミサイル防衛といった手段で戦争を全体概念としての日常世界の外部へと括り出して行ったら、戦争はもう位相的に反転してその内部に実現される他ないわけですよ。起こっている事態は極めて論理的・形式的です。インティファーダやフーリガンもそうした内部的・対自的暴力の一形態です。ところでこういう時って、僕がボスニア紛争の頃から考えていたことがいよいよ現実に起こったと考えて誇っていいものなのか、起こったことを今までの自分の思考の枠組みで捉えているだけだと謙虚に考えるべきなのか微妙なんですよね。一応以前のテクストにリンク、2000/08/14。掲示板にバカが現れた時に書いたもので、一年前ですか。ああ。適当しかも問答無用。ところでその。なんかバイトをクビになったような気が。いや気のせいなんですけど。もう純然たる気のせいなんですけど。