アシュタサポテ :: 過去の日記 :: 2001-10

日記 :: 2001-10


2001-10-29

かつて音楽が映像を伴わない時代があった。それはアメリカが繁栄の絶頂にあった'50年代、小金を手にした若者たちが自分用のラジオを持ちヒットチャートをチェックしレコードを買うことを覚え、ポップミュージックが産業として成立した頃の話である。しかし間もなくしてテレビが一般家庭に普及し、音楽プロモーションの一端を担うメディアとして機能を始める。言うまでもなくテレビで音楽を流すにはそれに伴う映像が必要であるが、多忙な人気アーティストがいつも番組に出演して歌ってくれるとは限らないし、ちょっとした曲紹介をする時のためにも映像があると便利だ。そこでごく自然な成り行きとして、フィルムを予め用意しておくことになる。例えばビートルズの名高いプロモーションフィルムの数々、ディズニーランドで撮影されたカーペンターズの「プリーズ・ミスター・ポストマン」、レッド・ツェッペリンがデビューと同時に放ったモノクロの「コミュニケイション・ブレイクダウン」。それらは多くの場合低予算で、アーティストがどことも知れぬスタジオで演奏したりミッキーマウスと歩いたりしているだけのものであったが、当時はまたテレビ画面にそれ以上の音楽映像を望む者もいなかった。「それ以上」のことは、例えばミュージシャンが主演する音楽映画によって代替されていた。だが時は'70年代後半、アメリカの映画産業の斜陽化が決定的となり、同時にビデオという新しいテクノロジーが登場する。映像文化は決定的な変容を迎えようとしていた。そして1982年、遂にMTVがやって来た……。

Duran Duran - Girls On Film

アメリカでミュージックビデオを専門に流すケーブルテレビ局・MTVが開局し急速に普及した時、ポップミュージックのプロモーションにビデオが極めて有効な手段となり得ることをいち早く見抜いたのは、例えばイギリスの新人デュラン・デュランであった。アメリカのバンドが相も変わらず安スタジオのまっさらな壁をバックに普段着のような格好で演奏してビデオを撮り上げていた一方で、彼らはセットやロケーションに金をかけ、精一杯イカしたスーツを身に纏い、更には無闇とセクシーな美女たちをはべらせてビデオクリップを製作した。そしてこの試みは着実にチャートアクションに反映されたため、彼らはポップスターとして成功を収めると同時に「MTVバンド」などと言って揶揄されることにもなる。だが「ハングリー・ライク・ザ・ウルフ」(Duran Duran; Hungry Like The Wolf, 1983)、「ザ・ワイルド・ボーイズ」(The Wild Boys, 1984)といったビデオは、今見ても'80年代的なカッコ良さにあふれた佳作だ。僕が最近観直して結構気に入ったのは「リオ」(Rio, 1981)で、派手なスーツ姿のメンバーがこれまた水着のオネーチャンたちと一緒にヨット遊びに興じるという相変わらずの内容なのだが、間奏の部分で筏に乗って波打ち際を揺られながらサックスを吹くシーンは果たしてカッコ良いのかどうか等、観終った後に幾つかの疑問点を残す問題作だった。だがデュラン・デュランのビデオの最高傑作は、何と言っても「ガールズ・オン・フィルム」(Girls On Film, 1981)に尽きる。メンバーが演奏する場面は申し訳程度に挿入されるだけで、あとはひたすら下着姿の美女たちが羽根枕で殴り合ったり泥レスに挑んだりするという一品。僕が中学生の頃、珍しくフルバージョンでオンエアされたこのビデオを録画できた時の喜びがいかばかりであったかは読者諸賢の想像に委ねるが、取り敢えず乳首なんかはバッチリ映っているぞ。

Herbie Hancock - Rock It

エロ的にも映像的にも素晴らしいこの作品を監督したのは、ケヴィン・ゴドレイとロル・クレームだ。解散した10ccの片割れであるこの2人組は、ゴドレイ&クレーム(Godley & Creme)名義で音楽活動を続ける傍ら、ビデオクリップの監督にも手を伸ばし、初期MTVの最も重要な監督としてその名を歴史に刻むことになる。彼らの監督作品は膨大な数に上るが、中でも衝撃度という点で群を抜いているのは、ハービー・ハンコックの「ロック・イット」だろう(Herbie Hancock; Rock It, 1983)。この曲が「ヒップホップの古典」であるかどうかの議論は一旦措くとしても、無人の部屋の中、マネキンの脚や頭が機械仕掛けでバタバタ動いているという映像は、一度見たら決して忘れられないインパクトを持つ。スクラッチの部分で映像が同期して巻き戻し-早送りになるのはご愛嬌だ。

ビデオ監督としてのゴドレイ&クレームの偉大さは、音楽と映像を絶妙に同期させるセンスや(やはりこれは自らミュージシャンでもあったためだろうか)、常に観る者の度肝を抜く斬新な発想力に加えて、その作品領域の幅広さにもあると言えよう。例えば自作曲「クライ」(Cry, 1985)のビデオはもちろん自らが監督しているのだが、これはアップで写された人物の顔が歌いながら次々と変化して行くという、いわゆるメタモルフォシスの手法を用いた極めて実験的な作品であり、また一方では例えばフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドの底抜けにバカバカしい「トゥー・トライブス」(Frankie Goes To Hollywood; Two Tribes, 1984)などもまた彼らの手になるものだ。エロ、実験的映像、バカ、そして渋め――アーティストと曲に合わせてその作風は殆ど無節操なまでに変化する。実際ここまで多岐に亘って様々なタイプのビデオクリップを撮り分けた監督はちょっといない。

The Police - Every Breath You Take

このように傑作と怪作が交互に現れるゴドレイ&クレームの膨大なフィルモグラフィの中から、敢えて代表作を一つ選ぶとなれば、やはりポリスの「見つめていたい」(The Police; Every Breath You Take, 1983)という事になろう。灰皿とドラムの俯瞰ショットをオーバーラップさせるあの余りに有名な場面から始まるこの作品は、後述するジャン=バプティスト・モンディーノやデヴィッド・フィンチャーが得意とする「モノクロ渋め系ビデオ」のひとつの原点として、今もなお参照されるべき名作だ。殊にライティングの見事さは特筆に価する。また、より技術論的に見るならば、曲の中で使用される楽器(というかトラック)の一つ一つに対応する映像を用意して組み合わせるという、後のスティング「セット・ゼム・フリー」(Sting; If You Love Somebody (Set Them Free), 1985)やゴドレイ&クレーム「リトル・ピース・オヴ・ヘヴン」(A Little Piece Of Heaven, 1988)といった作品にも見られる方法論がここにおいて既に確立されており、その意味で例えばINXS「ニード・ユー・トゥナイト」(INXS; Need You Tonight, 1988)などがただちに想起されねばならない。そしてこうした方法論に見られる神経の細かさは、キャメラの前でアーティストが歌えば一丁上がり、という従来のビデオクリップ製作とは根本的に異なり、所与の音楽に最も相応しく同期する映像を常に模索する彼らの態度を意味する。それは'80年代中盤に製作される傑作ビデオクリップの数々へと向けて土壌を敷き、また受け継がれて行く。

Michael Jackson - Thriller

しかしこの時期のMTVにおいて最も大きな話題を呼んだのが、マイケル・ジャクソンの「スリラー」であったことはやはり否定できない(Michael Jackson; Thriller, 1984)。ビルボードのチャートでは4位止まりという結果に終わったとはいえ、マイケルはこの曲のビデオ化に当時としては驚くべき熱意と金を注ぎ込んでいる。すなわち、ハリウッドから『ブルース・ブラザーズ』の監督ジョン・ランディス(John Landis)を招聘した上、もとは6分の曲をビデオ用に編曲し直し、長いオープニングを加え、エンドロールまで含めると14分にも及ぶドラマ仕立ての大作に仕上げてしまったのだ。これは同年にプリンスが『パープル・レイン』という映画を製作し音楽-映像のジャンルに一石を投じた事実との関連で見ても、すぐれて徴候的な事実と言わねばなるまい。MTVは今やその最も充実した時代を迎えつつあり、「スリラー」はその最初の一撃だった。もちろん純粋に作品的に言っても、何しろあれだけ歌も踊りも上手い人だから今観ても十分カッコ良いし、第一まだ顔の黒いマイケルが見られるというだけでも古典としての価値があるというものだ。

Don Henley - The Boys Of Summer

'80年代黎明期のビデオクリップ界に大きな功績を残した監督の一人として、ジャン=バプティスト・モンディーノ(Jean-Baptiste Mondino)の名も書き落とすわけには行かない。ファッションカメラマンでもありジャケット写真等も手掛けるモンディーノのビデオ作品は――叙述の年代順としてはやや先走るが――マドンナのエロティックな「ジャスティファイ・マイ・ラヴ」(Madonna; Justify My Love, 1990)や、完璧なまでにカッコ良いあの「ヒューマン・ネイチャー」(Human Nature, 1994)等、いずれも見事と言うより他ないライティングによってモード写真のような美しさに満ちている。しかしモンディーノに関してもう一つ重要なのは、ドン・ヘンリーの「ボーイズ・オヴ・サマー」(Don Henley; The Boys Of Summer, 1985)という、第2回MTVビデオミュージックアウォード(以下VMA)大賞受賞作品において、主に余りフォトジェニックとは言えない中年アーティストに対しても、モノクロの渋いカッコ良さを演出することで優れたビデオ作品への門戸が開かれ得ることを実証したという点だ。事実今でもオヤジアーティストがバラードなど歌おうものなら決まってこのタイプのモノクロのビデオクリップが作られ、その中では本人が歌うショットに加えて若いカップルの映像とかがノスタルジックかつ無関係に挿入されたりするものだが、それら全ての典拠に位置するのが他ならぬこの「ボーイズ・オヴ・サマー」なのである。

The Cars - You Might Think

ところで、以上に述べた古典的ビデオクリップは、「ロック・イット」をやや例外としつつも、基本的にはいずれも「アーティストが演奏する姿をいかにカッコ良く或いは美しく映像化するか」という概念枠の内部にあった。つまり、どうあがこうともスタジオで実写した映像を編集して仕上げるというプロセスに拠っていたわけだ。これに対して1984年、第1回VMAの大賞受賞作であるカーズの「ユー・マイト・シンク」(The Cars; You Might Think, 1984, directed by Jeff Stein)は、ユーモラスなアイディアを特殊効果によってふんだんに盛り込んだ画期的な作品である。

A-ha - Take On Me

アーティストが歌ったり踊ったりする姿を作品の中心に据えるのではなく、寧ろ映像処理によってこそ見せる。この行き方のひとつの頂点に位置するのがア・ハの「テイク・オン・ミー」(A-ha; Take On Me, 1985)だ。アメリカではさしたる知名度もなかったア・ハにとってこの曲は唯一のビルボードNo.1ヒットとなったわけだが、それにはこのビデオクリップの力が大きく与かっていたと言っても反論する者はあるまい。女の子が喫茶店でいかにも安っぽい雑誌のマンガを眺めていると、その登場人物(ア・ハのメンバー)がコマの中から手招きし、彼女はマンガの世界へと入り込んでしまう。マンガのヒーローと対面して驚きつつも喜ぶ女の子。そこに現れる暴漢。彼女は一旦外の世界へ逃れ出るが……という、曲の内容とはたぶん大して関係ないであろうストーリーを持つこの作品は、ビデオが曲を凌駕してしまった極めて稀有な事例としても記憶されねばならない。ラインアートによるアニメと実写の合成の妙は、「ユー・マイト・シンク」の描き出したユーモアとはまた異なり、切ない物語を演出して秀逸である。特に1分30秒台の回り込むキャメラワークは、何度見ても溜息が出る。

Dire Straits - Money For Nothing

「テイク・オン・ミー」を監督したスティーヴ・バロン(Steve Barron)は、それ以前にもマイケル・ジャクソンの「ビリー・ジーン」(Billie Jean, 1983)など、独特のアイディアを盛り込んだビデオを作っているが、ダイアー・ストレイツ「マネー・フォー・ナッシング」(Dire Straits; Money For Nothing, 1985)も、それらと並ぶ彼の代表作だ。今見ると何やらノスタルジックにすら感じるポリゴンCGと、ややサイケがかった画像処理を施された実写のライヴ映像を組み合わせているというだけでも十分刺激的なのだが、同時にこれは、やや大袈裟に言えばこの時期のMTVとそれを取り巻くポップミュージック産業の情況を映し出す極めて徴候的な作品でもある。そもそもこの曲自体が、楽器もろくに弾けないのにビデオクリップによるプロモーションだけで人気を博して「何もしないで金だけ儲けて女もタダ(Money for nothing and chicks for free)」という、いわゆる「MTVバンド」に対する皮肉と揶揄に満ち満ちた歌で、そのビデオにはMTVのアイキャッチ映像が引用され、明らかにデュラン・デュランを想起させる架空のアーティストのビデオクリップまで登場する。こんなものが「テイク・オン・ミー」を抑えて第3回VMA大賞を受賞してしまったのだから、MTVも随分懐が深い。

Peter Gabriel - Shock The Monkey

これらの作品が発表された'85年から'86年にかけてはまさにMTVの爛熟期という観があり、数多くの名作が生まれているが、アーティスト単位で言うならピーター・ガブリエルのものが大方ハズレなしに上出来だ。彼はもともと極めて早い時期から優れたビデオクリップを製作していたが、それはデュラン・デュランが企んだようなセールスのためというよりは寧ろ、例えばトーキング・ヘッズが「バーニング・ダウン・ザ・ハウス」(Talking Heads; Burning Down The House, 1983)や「ロード・トゥ・ノーホェア」(Road To Nowhere, 1985)のビデオを作るに当たってデヴィッド・バーンが自ら監督に携わり高い評価を得たような、アーティスティックなこだわりによるものと言うべきなのだろう。中でも注目すべきは「ショック・ザ・モンキー」(Peter Gabriel; Shock The Monkey, 1982)で、ホラー映画を思わせる緊迫感に満ちた画面と悪夢的なセットやメーキャップによって独特の映像世界を描き出した、MTV開局と同じ年に作られたとは俄かに信じがたい斬新な作品だ。これは1982年時点で期待し得る最高水準の作品だったと言えるだろう。

Peter Gabriel - Sledgehammer

彼のビデオの代表作として、また'80年代のMTVを代表する傑作として、今も語り継がれるのが「スレッジハンマー」(Sledgehammer, 1986, directed by Stephen Johnson)だ。与えられた予算と時間を大幅にオーバーして完成した甲斐あって第4回VMAの各部門を総なめにしたこの作品は、CG全盛の現在にあってもなお新鮮な輝きを放っている。バストショットのピーター・ガブリエルが「You could have a steam train」と歌えばその通り蒸気機関車が彼の顔の周りを走る、といった具合に、歌詞からいちいち即物的に具象化された映像の連続は、5分間に亘って一瞬たりとも緩むことのない凄まじい強度の持続を実現している。そして重要なのは、この作品が冒頭の顕微鏡画像をほぼ唯一の例外として全編がコマ撮り(クレイアニメーション含む)によって製作されているという点だ。現在のCG技術を使えば同じことがもっと簡単に出来てしまうであろう動画を、膨大な金と時間と労力をかけて一コマ一コマ撮影して行くという、殆ど気違いじみた過程こそがこの驚嘆すべき画面の強度の持続を可能にしたのだ。

Talking Heads - And She Was

こうしたアニメーション系ビデオクリップの頂点に君臨するのが、ジム・ブラッシュフィールド(Jim Blashfield)による作品群だ。トーキング・ヘッズ「アンド・シー・ワズ」(And She Was, 1985)、ポール・サイモン「ボーイ・イン・ザ・バブル」(Paul Simon; The Boy In The Bubble, 1986)、マイケル・ジャクソン「リーヴ・ミー・アローン」(Leave Me Alone, 1987)、そしてティアーズ・フォー・フィアーズ「シーズ・オヴ・ラヴ」(Tears For Fears; Sowing The Seeds Of Love, 1989)といった彼の監督作品は、いずれもアイディアいっぱいの観ていて決して飽きないアニメーションだが、イメージと曲内容の見事な同期に加えて、特筆すべきはその独特の濃密な画面作りだ。ここにおいては最早や実写とアニメーションの区別が完全に消滅している。例えば「アンド・シー・ワズ」では、作り物じみてはいるが奇妙な存在感を湛えた家並が次々と映し出され(ちなみにこの正面から見た家というのは彼のビデオにしばしば登場するモチーフだ)、時々その前を地球儀や鳥や人の足が無節操に行き交い、サビの部分になると中途半端にアニメ化されたデヴィッド・バーンの顔が現れぎこちなく口を動かして歌う。この奇怪な視覚-聴覚体験。それはまさしく、映画・テレビ番組・CMといったそれまで有り得た映像作品においては嘗て顕れたことのない、ビデオクリップという文化が成熟することによって初めてわれわれが体験し得た世界であった。

Pet Shop Boys - Opportunities

また、この時期にビデオクリップ界で独特の作家性を展開した監督として、ズビク(ズビグニエフ)・リプツィンスキー(Zbig Rybczynski)の名も忘れてはなるまい。ポーランド出身でいかにも東欧らしい実験的短編映画を作っていたリプツィンスキーは、アメリカ亡命後ビデオクリップ製作にも進出しその鬼才ぶりを発揮する。シンプル・マインズ「オール・ザ・シングズ・シー・セッド」(Simple Minds; All The Things She Said, 1985)、ペット・ショップ・ボーイズ「オポチュニティ」(Pet Shop Boys; Opportunities, 1986)、ハーブ・アルパート「キープ・ユア・アイ・オン・ミー」(Herb Alpert; Keep Your Eye On Me, 1987)といった彼の作品は、いずれも同じ人物の映像を何重にも重ねて滑らかにスクロールさせて行くという、深い思想性や象徴性があるのか単に馬鹿の一つ覚えなのかよく分からないコンセプトに貫かれており、西欧の監督の作品とは明らかに違う手触りを残すものだ。彼はまたハイビジョンの可能性に最も早く注目し成果を挙げた映像作家の一人でもあり、後にはズビクビジョンという自らのプロダクションを設立して、NHKなどと共同で全編ハイビジョンによる「ジ・オーケストラ」(The Orchestra, 1990)を発表するが、クラシックのビデオクリップとも言えるこの奇妙な作品も、どこまでも長く繋がった鍵盤をキャメラが右へ右へとスクロールし、その前に様々な人物が入れ替わり立ち替わり現れて演奏をするという、これまたいかにも彼らしい作品に仕上がっていた。

Paula Abdul - Straight Up

リプツィンスキーほど畸形的な才能の持ち主ではないが、'80年代のビデオクリップ界において或る時期から確実な地位を築き、後に映画界へと出世した人物としてデヴィッド・フィンチャー(David Fincher)がいる。彼はスティングの「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」(Englishman In New York, 1987)といったモノクロ渋め系ビデオを監督しやや注目されていたが、その名を一躍知らしめたのはポーラ・アブドゥルの「ストレイト・アップ」(Paula Abdul; Straught Up, 1989)で、これは僕個人にとってもかなり重要な作品だ。ポーラ・アブドゥルはもともと踊りの人で、ジャネット・ジャクソンの振付などもしていた兼ね合いからか、自分のアルバムを出すという運びになった。出来上がった『Forever Your Girl』は、ジャケットからして既に一山幾らという雰囲気の漂う取り立てて言うべき事のないポップアルバムで、2枚ほど切ったシングルも当然ヒットしなかった。ところが次のシングル「ストレイト・アップ」のビデオを製作するに当たって、デヴィッド・フィンチャーに白羽の矢が立ったのだ。彼はモノクロ撮影によりポーラの踊りを可能な限りスタイリッシュに演出し、更に曲の冒頭には強烈にカッコいいタップダンスのシーンを配した。まあよく見るとそれほど金はかかっていない事が分かったりもするのだが、モノクロのコントラストを重視した画面作りと的確な編集技術はそれを補って余りあるので、このビデオのお蔭で曲も大ヒットした。これで波に乗ったポーラ・アブドゥルは出す曲出す曲大ヒット、アルバムから計4曲のNo.1ヒットを出してしまい、当時中学生でチャートマニアだった僕は「ヒットチャートなんてプロモーション次第で本当にどうにでもなるんだ」「ポップミュージックというのは音楽というより寧ろ資本主義の運動の一側面と捉えたほうが妥当だ」、などと悟ってしまうほどだった。ちなみにポーラ・アブドゥル自身はセカンドアルバム以後は鳴かず飛ばずになってしまい、今では何をやっているのか誰も知らない。――それはともかくとして、フィンチャーはビデオ監督として押しも押されぬ地位を確立し、VMAにはその作品が軒並みノミネートされ、やがてハリウッドへと活動の場を進める。『エイリアン3』(1992)や『セブン』(1995)の監督として、その名を知っている人もいるだろう。

Madonna - Vogue

フィンチャーはまたこの時期、マドンナの「エクスプレス・ユアセルフ」(Express Yourself, 1989)や「ヴォーグ」(Vogue, 1990)などの監督も務めて、いずれも期待に違わぬ完成度を示しているが、彼の仕事の重要度を理解するためにここでマドンナというアーティストのフィルモグラフィを振り返ってみるのも意味のないことではない。と言うのも、'80年代後半における最大のヒットメイカーであった筈のマドンナのビデオクリップは、例えば「ライク・ア・ヴァージン」(Like A Virgin, 1984)で、ヴェネツィアでゴンドラに乗って歌っていると橋が近付いて来て「危ない、頭をぶつける!」と思わせた次の瞬間ひょいと身を伏せるというハラハラ感や、「マテリアル・ガール」(Material Girl, 1985)でマリリン・モンローにオマージュを捧げていたのが記憶に残っている程度で、意外と言えば意外なほどつまらないのである。それが'89年頃を境に急にモード写真のようなスタイリッシュな作風に変化するのだから、ここに「ストレイト・アップ」の影響力を見るなと言うほうが無理な話だろう。詰まるところ「ストレイト・アップ」の決定的な新しさは、マドンナですらそんなどうでもいいビデオしか作っていなかった時代に、「本当にカッコ良い女性シンガー」を見せたという点にこそあったわけだ。

ビデオクリップに関する僕の叙述はここで終わる。それは僕が'91年頃から次第にヒットチャート的な音楽から興味を失い、従ってエアチェックも余りしなくなったからという、ごく単純にして個人的な理由によるのだが、またビデオのほうが僕を一時期ほどは強く惹き付けなくなったからとも言える。つまり、自分がもうMTV文化の最上の部分を見尽くしてしまったのではないか、という印象を持ってしまったのだ。VMAを見ていても食指を動かされる作品には殆ど出会わなくなった。例えば'90年度の大賞受賞作はシニード・オコーナー「Nothing Compares To U」であったが、なんか柵を背にしてシニードが涙を流して歌うだけというこのビデオのどこが優れた作品なのか、僕にはおよそ理解し難いし、また'91年度のREM「Losing My Religion」も、成程それなりに良く出来たビデオではあるのだろうが、これが年間を通じてのベストだと言うに至っては、'80年代中盤の驚くべき達成の数々を知ってしまった目には余りに情けなかった。'90年代にはCG技術が飛躍的に発達し、多くのビデオがCGを援用して製作されるようになる。ここでも先陣を切ったのはピーター・ガブリエルで、ほぼ全編CGによって製作された'92年の「Steam」などは確かに良く出来たビデオと言うべきなのだろうが、「スレッジハンマー」の持っていた異様に充実した画面の持続には到底敵うものではない。言うまでもないことだがCGという技術は、どんな映像でも作れてしまうという可能性を与える一方で、作品にとってあらまほしい緊張感を画面上から決定的に奪い去りもするのだ。だから僕は寧ろ、バカバカしいアイディアを詰め込んだエミネム「The Real Slim Shady」や、日本の怪獣映画のキッチュ極まりないパロディになっているビースティ・ボーイズ「Intergalactic」のほうが、余程後腐れなく気楽に楽しめた。

INXS - Need You Tonight

ありうべき誤解のために附言しておくならば、僕が今回試みたのは'80年代ビデオクリップの表出史などでは決してなく、ごく個人的な思い出の記述に過ぎない(そのため、例えばジュリアン・テンプルやティム・ポープといったMTV史上極めて重要な幾人かの監督の固有名も、僕が余り興味を惹かれなかったというだけの理由で容赦なく省かれている)。しかし敢えて言うなら、'86年に「スレッジハンマー」が出た時点でビデオクリップの全ての可能性は出尽くしたと僕は思う。その後には主にCGによる技術論的進歩が続くだけで、無論それは作品論的な発展を保証しない。一方僕はと言えば最近ややともすれば過去のことばかりを想起するという奇妙な病状に悩まされつつあるため、例えばINXSの「Need You Tonight」「New Sensation」「Never Tear Us Apart」といったビデオをWinMXで苦労して探して落としてきて観直して、今は亡きマイケル・ハッチェンスのカッコ良さに痺れて感傷に浸ることなどもしばしばだ。やがてその郷愁は更に亢進し、上述のような名作・傑作・古典とされるビデオではない、中学生の頃ちらっと見ただけの作品にまで向かう。トーマス・ドルビー「彼女はサイエンス」、シンディ・ローパー「ハイスクールはダンステリア」、バングルス「エジプシャン」、メン・アット・ワーク「ノックは夜中に」、そして思い出すだけでこちらが赤面させられてしまうあのトニー・バジルの「ミッキー」……名作でも傑作でもない、これらどうでもいい一発屋たちのビデオを、果たして僕はもう一度目にする機会があるのだろうか?


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作者:林
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最終更新:Monday, 10-Apr-2006 11:19:48 JST