先日紹介したこれだがしかし凄いと思う。感銘を受けたのでリンクを辿って同じ趣味をもつ人々のサイトをあちこち見て回ったのだがいよいよ以て凄い。親と同居しながら等身大の少女の人形をこっそり購入し、部屋に籠もっては服を着せ替え写真を撮りその他恐らくはあんな事やこんな事までしている人のことを思うと、って僕がこういう言い方をすると馬鹿にしているととられ兼ねない危惧があるので弁明しておくが本気で感服している。と言うより殆ど嫉妬している。だって連中の幸せっぷりは一体何事だ? あれに比べるとエロゲーをプレイしては眉間に皺を寄せて小難しい議論を展開する奴らなど不幸の極みではないか? 生身の彼女やら妹やらを巡ってノロケてみせるサイトなどいよいよ以て断末魔ではないか? たまに耳にする「動物化するポストモダン」というのがアレクサンドル・コジェーヴの出来の悪いパクリかどうかは読んでいないので知らないが、コジェーヴの言う「純粋な形式のスノビズム」、世界と自己を理解する思弁的必要を持たないが故のスノビズムというのは、まさしくこのことではないのか!?
どちらかと言えば我が身が引き寄せた偶然という気もするが、偶然にも今再読にかかっているのは『未来のイヴ』で、これは非の打ち所のない美貌の内に救い難いほど卑俗な魂を持った女に恋してしまい絶望した青年貴族のために、発明家がその女から魂だけを抜き取ったような生き写しの人造人間を創造するという話である。俗物(スノッブ)どもが大手を振って練り歩くブルジョア社会全盛のフランスに没落貴族として生を享けてしまったリラダンの耐え難い苛立ちと憎悪がまずは涙を誘う物語なのであるが、同時にまた仮初にもピュグマリオニズムを口にする者ならばメリメやホフマン、我が国で言えば江戸川乱歩『人でなしの恋』或いは牧野信一『夜の奇蹟』等と並んで決して言及を忘れてはならない作品でもある。とまあこの辺に関しては語り始めればきりがないが、それにしても自己愛が愛の一つの(ことによると唯一の)究極的な形態であることに鑑みれば生命のない人形に愛を注ぐことが途方もないエクスタシーであろう事は想像に難くないし、簡単に言ってしまうなら理想的な女性がその「内面」によって私を裏切ることがないと言うのは至福であるに決まっている(<余っ程辛いことが……)。高性能人型ロボットが普及しごく普通に人間の友達として街を闊歩するようになったちょっとだけ近未来を舞台に、さえない主人公と少女型ロボットとの甘くまたほろ苦い出会いと別れを描いた、『未来のイヴ』の出来の悪いパクリという意識すらない孫引きの孫引きのようなマンガはもう飽きるほど見せられた気がするが、案外身近なところでそれはもう既に現実のものとなっているのではないか。
前述のサイトの娘さんを製作・販売しているオリエント工業のサイトを見ると、色々とドギマギさせられてしまう写真とともに製品紹介がなされているのだが(――ちなみに人形の写真というのはたとえそれがどんなに愛くるしい少女の人形であろうとも決まってどこかしら不気味で、更に言ってしまえば人形というもの自体が既に不気味なわけだが、あれは結局死体が不気味 unheimlich なのと同じ理屈だと思う。つまり普段見慣れた人間には付き物の筈の魂、精神、要するに「意味」がその肉体には明らかに欠落しており、にも拘らず外観だけは人間にそっくりであるが故に「物質」という「意味」を一義的に確定することも出来ない。この不安感のためにわれわれは死体を埋葬し墓標という記号がどこか別の場所にある魂 = 意味を指し示すようにするのが習いであるし、してみれば同様に人形をゴミ箱に突っ込んで捨てるのが躊躇われるのも単に情が移ったからとかそういう話ではないのだと思う)、気になるお値段はと言えば一番安いので 130,000円 ~。高っ! と反射的に思ったが、冷静に考え直してみると――この際冷静に考え直すのが正しいのかどうかはさておき――例えばノートパソコンを 1 台買うよりはずっと安い。もっと適正な比較を行なうならば、人間の女にかまけて金と時間と労力を費やし神経を擦り減らし不眠に陥り酒に溺れ生活に破綻を来すことを思えば、もうなんか安すぎるほど安い。一応人並みに働いている筈なのにどうして僕だけこんなに貧乏なんだろうとずっと思っていたところ先月給与明細にちゃんと目を通してみたら理由が一瞬で判明して、要するに遅刻と欠勤が人並み外れて多かっただけのことなのだが、それで今月は反省したのか割と真面目にっていうか休日まで出勤しているので恐らく今度こそはまともな額の給与をゲットできる。おやりなさい、とエディソンは言う。ハダリーはもうそこにいるのですぞ、と。ああ! だが焦ってはいけない。念のためそして後学のため、『未来のイヴ』に最後まで目を通してエワルド卿の行く末を見極めてからでも遅くはあるまい。