アシュタサポテ :: 過去の日記 :: 2006-04

日記 :: 2006-04


2006-04-27

昔のテンションの高い文章って読み返すと何考えてたんだコイツとか思う。『檸檬』のとか何この超絶オモシロテキスト。死ねばいいのに。

全般に世の歩みから 5 年前後遅れているんだけど、僕にとっては:

一青窈『月天心』 (2002)

どこかで名前を見かけて以来、訓みは「いっせいとう」という感じの、中国をイメージしたパンクバンドだと勝手に思っていた。何をどう勘違いすればそうなるのか、理由を説明するのも馬鹿らしいので説明しておくと、まず何となく字面が「青竜刀」に似ている。無論冷静に検証すれば共通するのは「青」の 1 字だけだが、取り敢えず「どちらも漢字 3 文字から成る」ことは確かだ。次に「一」が含まれているため「一刀」「一閃」「一騎」といった、これも剣戟にまつわる単語を想起させる。この点に関しても恐らく反論の余地はないだろう。最後に「窈」という見慣れない文字が中国チックであり、総体として馬賊が青竜刀を振り回し戦っているというイメージを喚起する。なるほど「窈」を「とう」とは訓まないことは少し考えれば分かるのだが、きちんと見ていなかったし、馬賊から「偸盗」といった単語を思い出し、且つそこに上記の「青竜刀」が被されば、「とう」と頭の中で発音して片付けることにさしたる疑問を抱かなかったとしても、これは無理からぬことだと思う。我ながらちらっと見ただけの 3 文字からよくここまで連想したものだと感心するが、とにかく、そういう経緯で僕の中で一青窈は、刺青をしたタフな男たちがなんかこう馬賊っぽい衣装を身に纏い、ハードコアな演奏に乗せて漢語が多目の歌詞を叫ぶという、些か色物じみてもいるバンドということになっていた(ギタリストは辮髪)。

その後調べてみて一青窈(ひとと・よう)は台湾と日本のハーフで、(……)歌う人で、(……)なども知った。オフィシャルサイトで視聴した限りでは期待するほど良い(「おっ」と思わされるところのある)歌も歌ってはいないし、ついでに(……)思ったが、名前も含めた存在のインパクトに妙に惹かれることは確かであり、また完全に誤ったイメージを形成していたことを償いたい気持ちもあったので、買ってみることにした。ブックオフで。

ところでこの歌やジャケットやサイトデザインに溢れるノスタルジックな感じは、椎名林檎を思い出させる。椎名林檎は今は「東京事変」という、当然「満州事変」とかを想起させる名前のバンドをやっており、オフィシャルサイトを見ていると「最新ニウス」「唄ひ手」「をんな」とか、要するに戦前くらいの言語感覚を模した表記が目に付く(模した、というのは実際にはそうではなかった、あくまで擬似的なものだからだが。「ニウス」なんて表記は当時だってなかっただろう)。こうした感性が一定の評価をもって受容されているということは、現代日本の一つの症候と言えるのかも知れないし、更に言えばリメイク映画が量産されていることとも並行しているのかも知れない。こういうのを僕は「文化的時間的エクスプロイト」と呼んで、それが何か生産的な結果をもたらしたのは歴史上ルネサンスだけであったと結論して蔑むことにしている。ちなみにこの種の俺タームは幾つもあるのだが公言しないようにしてきたので今自分で書いてちょっとびっくり。

歌詞を見ながら聴き始めて何よりまず、この人の「アーティスティック」な態度に慣れる必要があるな、と覚悟した。「あこるでぃおん」といった表記や擬音語のセンスに見られる「女性アーティストの言語感覚」はもとより、歌詞を見ると句読点や改行や空白の使い方が「現代詩」風だったりするところも、僕は反射的にカンに障ってしまう。馬賊のくせに。

日本語の発音がちょっと日本人離れしたところがあり、具体的には不要なところで濁音・鼻濁音っぽい音が混じったり、撥音が消えたり促音のようになるということなのだが、まあそれはそれで面白い。歌い方は寧ろ古いコブシの入った歌謡で、やはり文化的時間的エクスプロイトなのかと思う。曲はそれほど面白いものではないと思った。最後の中国語の小品はちょっと良かったかも。まあ、あと何回か聴いてみよう。

Tommy february6 『 Tommy february6 』 (2002)

なにこの完成度。びっくりした。最初の「 EVERYDAY AT THE BUS STOP 」は当時聴いたことがあるのでまあ聞き流していたのだが、次の「トミーフェブラッテ、マカロン」のブレイクで「オーレ、オレオレ……」というコーラスが入ってくるところで本当に驚愕した。こりゃすごい、と思った。

そこで初めて曲のクレジットを見ると、殆どの作曲とプロデュースが MALIBU CONVERTIBLE となっている。調べてみるとそういうプロデューサだかプロデューサ集団だからしいのだが、確かにこれはプロフェッショナルの仕事だ。作曲も音作りもコンセプトデザインも、或いはビジュアル面での戦略(遣り口においてピチカートファイブとは別種の、しかしそれに匹敵する賢さが感じられる)も、恐ろしく完成度が高く、優れた商品になっている。例えばこのビジュアルとカラフルな音像の完全な同期ぶりは、相当強力なプロデュースがなくては為しえないものだろう。

4 年前も僕はこれを '80 年代テイストのコンセプト商品として受け止めていたが、きちんと聴いていなかったのでここまで徹底した製作物だとは知らなかった。これもまた一種の文化的時間的エクスプロイトであることは間違いないが、一青窈より作品として優れており、何より自覚が強いぶん健全でもあると思う。

しかしこの評価は、僕が '80 年代アメリカヒットチャート文化――正確に言えば日本におけるそれなので、「ベストヒット USA 」文化とでも呼称するべきか――の感情教育を受けて育ったことに少なからず影響されている筈だ。もっと若い世代のリスナーがどういう受容の仕方をしているのかは分からない。しかし恐らく僕は、この商品のターゲット世代なのだろうなと思う。調べていると、川瀬智子は '75 年生まれだと分かった。或いは、 S-WORD が BARKS のインタビューで「俺らの世代はロック・ショックが消せない」と語ったり、 MACKA-CHIN が Blast のインタビューで同様に自分が「ベストヒット USA 」世代だと言っていたことなどを思い出す。(……)要するに色々考えさせられてしまったわけだが、それだけの作品的強度を持った 1 枚だということで、久し振りに CD を聴いて理論的な興奮( (c) 柄谷行人)を覚えた。

宇多田ヒカル『 First Love 』 (1999)

正直ここまでつまらないとは思わなかった。歌はまあ上手い部類なんだろうが、声にインパクトがないのでさのみ印象に残らないし、曲は凡庸だし歌詞も(ちゃんと読んでないが)引っ掛かってくるポイントがない、飽く迄空疎なラブソングだ。唯一「甘いワナ」という曲を最後で「 Paint It, Black 」に繋げるというワザを見せている箇所は、おっ、と思った。なるほどそういう遣り方もあるか、と。全然関係ないがリチャード・トンプソンが「 Nobody's Wedding 」の後半を「 Mary's Wedding 」のメロディーに繋げているのを連想した。

いや、ほんと書くことがない。

モーニング娘。『 3rd-LOVE パラダイス』 (2000)

「愛車 ローンで」のリフで吹き出した。そしてこのタイトルがそもそも「マイ・シャローナ」のシャレなのだと、遅れて気付いてまた笑った。実に下らない。

ところでこれを評価できる人がオレンジレンジを否定するとしたら奇妙な話だと思う。名前が思い出せないんだが '89 年くらいにオールディーズのメドレー、というか継ぎ接ぎしただけの曲を作って全米チャートを制覇した覆面グループがあった気がするが(今かなり頑張って検索してみたのだが出て来ない)、あれと同じで、「聴いたことがあるメロディーばかり出て来る音楽」というものがあると思う。オレンジレンジは「シャンプーだ!」「ロコモーションだ!」「バッドメディシンも入ってる! あはははは」と大らかな気持ちで聴けばいいわけで、著作権の問題さえクリアすれば何も嫌う要素はないと思う。まあクリアしたところでやらかしていることに自覚がないからこそ嫌われているのだろうが。

モーニング娘。に戻ると、このアルバムは思ったより薄かった。まず語りや小ネタからなる「曲」がところどころ挟まれている点で、通して聴くと薄い。次に何より、流石アイドル歌謡ということなのかも知れないが、各人の声がものすごく弱い。 1 曲目で 1 人 1 人が「おはよう」「おはよう」と言っているのだが、こんな素人どもの声を録音して売り出していいのか、と余所ながら心配になってしまうくらい。そして歌もそんな調子なので、聴き終わって特に残るものはない。

LOVE PSYCHEDELICO 『 THE GREATEST HITS 』 (2001)

これはかっこいい。こういう「かっこいい日本の音楽」は余り聴いてこなかったので(僕の括りでは例えばエゴラッピンを聴いたのが最後ということになる)、たまに聴くと驚いてしまうんだが、実にしっかりした(……)。 1 曲目の「 LADY MADONNA 」は憎たらしいほど良く出来たイントロのギターの音だけで只者でないということが分かるし、リフも印象的だ。ヴォーカルも艶があって、素晴らしい表現力と魅力を備えている。

歌詞は日本語と英語をシームレスに往還するところが特徴とされるのだろうが、聞き流していて異様に気持ち良いのは構築が巧みと言うか、曲の中の或る位置にどういう単語が来るのが最も効果的かの測定が非常に正確だからで、謂わば歌詞のプロデュースが手堅い。「 Last Smile 」の単語の選び方・並べ方に溢れまくる才気はどうだろう。無論こういうのは目で読んでしまえば愚にもつかない気恥ずかしいものだったりするわけだが(「情景は yesterday にまだ remain 」とか)、詞なのだから聴けばよいのであって、寧ろ詞は読まずにところどころ聴き取れる単語が出て来るくらいが一番気持ち良い。これは僕にとって日本語ラップ、中でも DEV LARGE 、及び少し意味は違うが MACKA-CHIN を聴く時の快感に近い。

演奏と歌唱もきちんとした基礎体力に支えられているし、総体として(……)、多分 1 度聴けば誰でも憶えてしまって次からは識別できるようになる、優れたバンドだと思った。(……)一方では曲の幅が広いせいかアルバム通して聴いても全く退屈を感じない。どころか鳥肌が立つ箇所が幾つかある。下らない音楽を立て続けに聴いた後だからかも知れないが、珍しく一発で気に入った。そして聴き終わって CD プレイヤーで Total Time を見たら 46 分で、いよいよ気に入った。完璧ではないか。

確かにこれも '60 年代ロックのエクスプロイトなのかも知れないが、ここまで見事にやられると反論のしようがない。多分この巧みさというか「分かってやっている感」が鼻につく人もいるのだろうが、しかし紛れもなく溢れる才能が注ぎ込まれたアルバムで、これをけなそうとしたらかなり周到な準備が必要だと思う。

さて比べるものではないことは分かっているのだが、僕の耳ではどう聴いても KUMI は宇多田ヒカル以上に優れたアーティストだということになる。宇多田ヒカルの声は大して印象に残らないし、騒ぎ立てるほど歌の上手い、いわゆる「歌姫」だとはどうしても思えない。日常会話のような薄っぺらい詞も極めてつまらないと思う。要するに早くも買ってしまったことをちょっと後悔し始めたわけで、浜崎あゆみとかどうすりゃいいんだコレ。「否定するなら一度見てみないとな。予想通り…中身はからっぽだった。」ということか? そういえば荒戸大輔がやっと再登場したけど HAL や梶君に比すると(副)主人公を張るにはどうにも魅力に乏しいのが心配。


2006-04-21

今の俺は 10 年前の学生の俺や 5 年前の無職の俺ではないので、ブックオフで社会人の権力を行使する。買ったもの:

俺は一体どこへ行くのか。


2006-04-10

色々いじってみた。

偏執的に人に優しいサイトが出来上がってしまった気がする。


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作者:林
連絡先:作者へのメッセージ送信フォーム
URI : http://astazapote.com/archives/200604.html
最終更新:Thursday, 27-Apr-2006 04:40:16 JST