アシュタサポテ :: 過去の日記 :: 2006-09

日記 :: 2006-09


2006-09-23

My Past and Thoughts: The Memoirs of Alexander Herzen : Alexander Herzen, Dwight MacDonald, Constance Black Garnett
[My Past and Thoughts: The Memoirs of Alexander Herzen : Alexander Herzen, Dwight MacDonald, Constance Black Garnett]

買った。 752 ページですかそうですか。「読みたいとは思っているけどいつ読むんだろう」と思ったら即座に買わないとその本は一生読まないし、「買ったはいいけどいつ読むんだろう」と思ったら即座に読み始めないとその本は一生読まないし、読み始めた本はつまらなくても分からなくても最後まで目に晒すという苦行を自らに課しておかないと本なんか一冊も読めない。あと日本語は読むのが苦しくてマンガしか読まなくなってきたけど、逆に音楽は日本語のばかり聴いている気がする。文字が辛いんだろうか。


2006-09-20

きりひと讃歌 (1) : 手塚 治虫
[きりひと讃歌 (1) : 手塚 治虫]

文庫で全 3 巻。初出『ビッグコミック』 1970-71 年。手塚治虫がこんな胸糞悪い差別的な作品を描いていたとは知らなかった。びっくりしたので、ちょっと書いておく。

内容は、医の倫理というテーマや権力・俗物・差別批判、一と口に言ってヒューマニズムを盛り込んだ活劇で、スケールは大きいしストーリーテリングは流石に達者で読ませるが、特に読んだ後に強く残るものもない、どちらかと言えば御都合主義の色濃い作品。まず言っておかねばならない点として、女がどいつもこいつも主体性がなく、男の都合に振り回されて犯されたり辛い目に遭ったり死んだりしていて、後味が悪い。

例えば冒頭近くで、主人公・小山内の婚約者いずみを小山内の親友である占部がレイプするのだが、直後にいずみは小山内と普通に会って何だか甘えたことを言っており、どころか占部とも会って普通に話をする。手塚治虫は登場人物をストーリーの駒として使うタイプの作者だから今更それをどうこう言うつもりもないが、ここまで軽い扱いでレイプが描かれると殆ど非人道的にすら見える。ちなみに占部はその後ヘレンという女をレイプし、いずみにももう一度手を出す。これは単なるレイプ魔だと思うのだが、それが何やら苦悩する副主人公のように描かれるのだから驚くし、更に被害者の女もそれを大して気に病まないのだからひどい。

一方小山内に関わった女は、彼にレイプこそはされないがストーリーの都合で容赦なく殺されてしまう。すなわち一度は彼の女房になったたづは暴漢に襲われ驚くほどあっさり犯されて殺されてしまうし、麗華はアラブの街で売春婦になりかけた挙句、見世物の失敗で天麩羅になるという何とも嫌な死に方をしてしまう。そもそも一緒に逃げて来た小山内に自分から迫っただけで麗華が病気(色情狂)呼ばわりされるなど、今日の倫理観ないし女性観からすると完全に差別的だ。女に性欲はないとでも言いたげではないか。女が隣に寝てる男のチンコなめようとして何が悪いんだよ。もったいない(義憤)。

麗華はこの後でもっとはっきりと猟奇的な異常者として描かれるのだが、しかし精神病者に対する扱いはこれまた差別的である。占部は「典型的なシソフレニー」つまり統合失調症と診断されるのだが、竜ヶ浦(小山内と占部の上司で典型的な俗物)は、自分の医局の医者が精神病者だったことを忌み、その事実を隠そうとする。この場面は竜ヶ浦の俗物性を批判する意図は感じられるが、例えば南アフリカにおける有色人種差別に対する批判的な書きぶりと比べると、どう見ても作者は精神病者に対する差別を否定しきっていない。更に言えば作者はレイプ魔としての占部の異常な行動に対する「説明」として精神病を持ち出している可能性があり、だとしたら恐ろしく差別的である。

さてこの作品では「モンモウ病」という奇病が話を牽引する記号になっているのだが、去年くらいから俺は、戦後のマンガにおける畸形および奇病というモチーフについて、特に気合いを入れて調べているわけではないが頭の片隅に置いて気を付けるようにしている。以下思い付くままに:

話を戻すと、『きりひと讃歌』の中で畸形および伝染病に対する差別は確かに否定的に描かれているし、人種差別もまた同様に糾弾の対象となっている。これは適切なヒューマニズムである。しかし、この「同様に」は問題だと思う。別の言い方をすると、同じ作中で精神病患者差別や女性差別が救われていないことは、この場合「時代の制約」とだけ言って片付けることが出来るのか。或いは、占部の顔面の鬼気迫る描写は、この差別意識と切り離し得ないのではないか。

こう考えてみると、これは戦後における「差別」の問題を考えるのになかなか重要なテキストだという気がしてくる。こうした作品の政治的意味合いを、ポスト戦後史的(?)な視点から読むような研究は誰かやっていないのだろうか。


2006-09-17

数年前にどこかのクラブで回転数を上げたマイシャローナがかかっているのを聴いて、思いのほか良いし聴けるし踊れそうだという再発見があったのだけれど、それを再の付かない発見として聴いてしまう人種、つまり大学ないし専門学校への進学もしくは就職で東京に出て来て初めて大都会の空気に触れ、レコード屋通いを覚えクラブ通いを覚え、全米 No.1 ヒットのロードショーではない種類の映画を観ることを覚え、つい 1 年前までは日本の歌謡曲しか知らなかったのに突然サントラやジャズの CD を買い蒐めるようになった連中が堪らなく気恥ずかしい。そういう学生が書いている blog とかが目に入ってしまうと正視できなくてすぐにブラウザ(のタブ)を閉じるくらい恥ずかしい。これは俺の人生で唯一の自慢なので書いておくと小学生の時に初めて買った CD がヴェルヴェットアンダーグラウンド & ニコで、ちなみに中学生の頃はウォーホルの映画を頑張って 1 人で観に行ったりミッドナイトアートシアターでやっていたフェリーニ・ゴダール・ロッセリーニをビデオに録って何度も観たりしていて、スティーリーダンが好きでジャズではオーネットコールマンのヴァージンビューティを聴いてびっくりしていて、高校生の頃はクラブというものはなかった(多分)けどボアダムズが東京に来た時はダイブしまくって翌日は必ず体中が痛くて学校に行けなくて親に怒られるとか、とにかくそういう道を辿った末に色々あって今に至っているので、その上で上述のごときザゼンボーイズが好きなサブカルキッズを見ると本当にやめてくれと思う(酔ってます)。


2006-09-17

なんか中学生の頃に雑誌のヒストリーオブロック特集みたいの読んでフリークアウトが「ロック史に残る名盤、今聴いても色褪せない衝撃」とか絶賛されているので小遣い溜めて CD 買ってきて、聴いたら何が良いのかさっぱり理解できなくて、でもここまで賞賛されるからにはどこかしら良いところがあるのだろうと伝統主義的または権威主義的に自己を強要して一生懸命聴いていた頃のことは二度と思い出したくないんだけど、何が言いたいかと言うとザゼンボーイズって中二病臭くて恥ずかしくねえ? あとドアーズは当時わりと気に入って聴いてたけど今改めて聴くと単に下手でだるくて聴いてられなくて、みんなそういうのはきっちり言うべきだと思う。ライトマイファイアーを聴いて興奮したり踊ったりできる人間が現代にまだいるとは俺には到底信じられない。般若の 3rd のジャケットは三億円事件よりも頭脳警察を思い出した俺だけど、頭脳警察も、いやホント高校生の頃聴いてたんですよ。 1st がリイシューされた時はちょっと興奮したもんですよ。でも音楽的にはクズだよな。


2006-09-17

下戸の吸血鬼は俺を襲わない方がいいと思う。

世界とソリが合わなくて、例えばここ数ヶ月で NTT 東日本、通販サイト、証券会社、近所のスーパーといったところにクレームをつけている。その都度こちらが恐縮するほどご丁寧な対応を賜ったり木で鼻を括ったような態度だったり口先だけでお前らやる気ねえだろとか色々だったわけだが、しかし改めて考えてみると恐らく大多数の人はこんなことしてないんだろうな。俺も労働者兼一人暮らしを始めて数年が経っていて、実家暮らしのニート時代に比べればまあ謂わばこう世間と摩擦や軋轢が生じる機会も増えるとは思うんだけど、それにしても本来こんな頻度ではない気がする。要するに世間が俺の思考や行動や一挙手一投足を、阻害し抑圧し嘲笑しているとしか思えない。

職場で隣の人の画面をふと見たら mixi 。ところで無駄に権限を付与されている俺。さてどうなる。


2006-09-17

[教えて!goo] 萌えに嫌悪を感じて、鬱になる

25才男です。
自慰行為をするとき、アニメや同人誌などのいわゆる「萌え」系を対象に使うと、
強い自己嫌悪とうつに陥ります。

「分かってるならそんなネタ使うなよ」「そう一筋縄でいかないのが男の辛いところでね」

アクセスログに曰く:「アシュタサポテ -どうすれば助かるんでしょうね-玄米に戻る?」ありがとうございます。全粒粉のクスクスを買いました。


2006-09-15

アラビア語を入力・表示できる環境を作ろうとしてまあ色々苦闘しています。 Windows でもアラビア語対応のテキストエディタは限られるのに、 Linux ともなるとなんかもうふざけんな。

クロアチアのワインを飲んでいます。仕事がないと(または休むと)、酒を飲みながらダラダラと気が付けば 10 時間くらいアラビア語の勉強ばかりしていて何やってんだろうな俺。動詞の活用の森に踏み迷っているのですが、派生形の解説を読んで人工言語と見紛うほどの徹底した論理性に心底やられた。個別の○○語ではなく言語そのものに惹かれる種類の変態、そうゆう人がいたらアラビア語をやるとよいです。たちどころに幻惑に駆られます。確実です。

チュニジアはフランス語もそこそこ通じるらしいですね。でも困ったことにはそもそも俺のフランス語力が相当に怪しい。学生時代は第 2 外国語がなぜかイタリア語だったし、一番時間を注ぎ込んだのがラテン語だったせいで「イタリア語とかフランス語って結局崩れたラテン語なんだぜ?」という認識が抜けなくて、そのせいで未だにフランス語の本を読んでいても例えば r を頭の中では巻き舌で発音している。(……)

重ねて言いますが鬱の時は語学の勉強が捗るので誰か助けてください。あとクスクス鍋を買いました。ホント何やってんだ。


2006-09-04

何度も言うように俺は昨日読んだ本の感想を今日書くような真似はするまいと心がけていて、まあ心がけたいと思っていて、だから酒に流されてそういうことをした後のこの居心地の悪さは何事だ。

クスクスの消費量が異常。ここんとこずっと米もパスタも喰ってない。毎日クスクス。あと数年続ければ絶対俺はチュニジア人になれるね。絶対て。

アクセスログに曰く:「アシュタサポテ -大西巨人やべえまじやべえ」。な。

以下思い付くままに:「晴の目覚め」はヴェデキント『春の目覚め』。「永遠も半ばを過ぎて」は中島らもだろうけど読んだことない。「黒猫・白猫」は鄧小平の白猫黒猫論、但しこの作者のことだからエミール・クストリッツァの『黒猫白猫』も念頭にあるのかも。「 good bad and ugly 」は『続 夕陽のガンマン』の原題。「ノケモノたちは荒野をめざす」は五木寛之に『青年は荒野をめざす』という本があるらしいけどこれも読んだことない。「旧人類を憐れむ歌」はザ・ローリング・ストーンズ「悪魔を憐れむ歌」。「さよならアメリカ、さよなら日本」ははっぴいえんど「さよならアメリカ さよならニッポン」。「金木英姫はオメガの夢を見るか」は『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』、「極東戦線異状あり」は『西部戦線異状なし』、「エキセントリック・スーパースター」は多分『ジーザス・クライスト・スーパースター』。「母は犯し、父は殺せ」は『オイディプス王』、及びそれを引用したドアーズの「 The End 」。聖書からの引用として「復讐するは我にあり」、「アルファでありオメガ」。極東のメンツの名前は THE BLUE HEARTS で引きこもり 3 人組は eastern youth 。ルチアーノはラッキー・ルチアーノヨハネ・パウロ 1 世の本名か。「運を奪う」は『 10 億分の 1 の男』。大山正達は大山倍達で斉藤道夫は斎藤道三、イブ・ L ・ホークスはパラサイト・イヴミトコンドリア・イブで苗字はハワード・ホークスかな。モントリオール娘。がモーニング娘。なら阿部奈美は安倍なつみで、晴の存在しない同級生・加藤真希は後藤真希。 HAL ・なっちん・梶秋一・冬吾が春夏秋冬なのは一目瞭然。真島君が息子に永吉と名付けているのは無論梶君ご推奨の矢沢永吉でしょうね。古屋のコードネーム「レディジェーン」は村上龍『 69 sixty nine 』か。ポリティカル・シミュレーションの構想が『愛と幻想のファシズム』に影響されていることは容易に見てとれる。「 M 塾」は阿部和重『インディヴィジュアル・プロジェクション』、だとすると「金の鹿 = 鏖」も「鏖」を意識しているのかも知れない。冬吾の「成長を止める」は『ブリキの太鼓』、喋り方は恐らく『わたしは真悟』。「エイトアンドハーフ社」はフェリーニ『 8 1/2 』。水華は『マトリックス』のトリニティのイメージか。「手前ェらぁオタクでヒキコモリィ」は無論『フルメタル・ジャケット』


2006-09-04

オメガトライブキングダム 4 (4) : 玉井 雪雄
[オメガトライブキングダム 4 (4) : 玉井 雪雄]

以前日記で 2 巻の感想を書いたら 2ch のオメガスレに貼り込んでくれた究極野郎がいたので 3 巻については書かなかったんだけど、それはいいとして、もうね、俺は人生で初めてマンガの単行本の発売日を心待ちにしてその日が来るとジュンク堂まで走って買ってるのよ。走らないけど。そのくらいシンクロしてます。

この 4 巻は荒戸大輔、芝と宮ノ木、そしてトムと何だか華のない連中ばかりが活躍していて言っちゃ悪いが繋ぎ、いやいいんだ。「すでに "種" はまいてある」とか相変わらず風呂敷広げには余念がありませんが、この作品の凄いところは本気でそれを全部畳もうとしてるんだよな。 3 巻でも嘗てダボス会議でハキムが言った「よりによって日本か」という、本当にどうでもよさそうな些細な台詞を引っ張り出して来ていて鳥肌が立った。あれが伏線になると思った読者は多分一人もいなかったと思う。

話を戻すと、荒戸大輔が「あんた、本当は何がしたいんだ?」と訊かれて「クーデターだ」と口にしてしまってから、その言葉を自分で回収するようにして意思を固めるという場面が実に良い。しかし一番衝撃的なのはイブの太腿ですか。あれ何、裸ワイシャツ? どうすりゃいいんだよ。四十路だろ。あと俺だったら背表紙の台詞は絶対これにする:「そう…彼らは――私達(ルビ「国家」)が、見捨てて来た、絶望の兵士達です。」

巻末に付録が 2 つ。連載開始前に構想された「初期プロット」と、各キャラクターの名前や顔の由来についての 4 コマ。嬉しいんだけど手の内明かされてやや萎える感も。桜一郎は絶対『直撃!地獄拳』だと思ったんだけどなあ。恵美も出て来るし。まあ言わないだけで観てるのかも知れないけど。作者は映画畑出身だし。あと「オメガのテーマ曲がストーンズの『悪魔を憐れむ歌』」と明言しているので、ベガーズバンケット持ってない究極野郎どもはちゃんと買って BGM にしながら本書を拝読するべきだと思った。無印 2 巻には「旧人類を憐れむ歌」というサブタイトルがあり、ヘリコプターは「無情の世界」で、「光る踊り人形」はやや強引に「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」と訓ませていて、極東がライブハウスの警備やってるところでもストーンズが言及されててあと何かあったっけ。この辺りの出典・言及を調べて列挙するという作業を誰かやって欲しい。

ところで今からは想像もしにくいんだが連載開始当時のこの作品のパッとしなさ加減はなかなかのもので、俺も確か 2002 年に梶君が出て来た辺りで急に面白くなって驚愕したことを記憶している。従って当時は 2ch のオメガスレも立っては荒れてさっぱり盛り上がらないまま落ちて行ったものだけれど(今でこそ玉井雪雄は Wikipedia で「ビックコミックスピリッツ随一絵が上手いことでも有名」などと書かれてるけど、当時は「絵が下手」というレスが圧倒的に多かった)、その中に:

51 名前: 名無しんぼ@お腹いっぱい 01/11/07 07:48
史郎:ヤンサンももう、長尾さんの以外読むところあまりないですね。
橋口:「殺し屋イチ」とか「THE WORLD IS MINE」も終わっちゃったし。
長尾:多分君達が気になってるやつは、全部同じ担当者のマンガなんだ。
   その人が飛ばされちゃってね。それで、スピリッツ行ったんだ。
   スピリッツで「オメガトライブ」ってのが始まったでしょ?あれ

ねえ? 皆さんきっと今頃は「真説 ザ・ワールド・イズ・マイン」に色めき立っているんだろうけど、上記の話の真偽のほどを誰か教えてください。


2006-09-01

また月が変わってしまった。足掛け 3 ヶ月も使うんだったら前月までの日記を表示する仕組みも作っておけばよかった。

『涼宮ハルヒの憂鬱』読了。初版刊行が 3 年前だから、まあ俺としてはまずまずの早さか。良いと思った箇所:

そうゆう人がいたら我々に相談するとよいです。

これは素晴らしいと思った。思わず good! とか書き込んだ。あとは憶えてない。


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作者:林
連絡先:作者へのメッセージ送信フォーム
URI : http://astazapote.com/archives/200609.html
最終更新:Wednesday, 08-Nov-2006 23:24:15 JST