1年前に出たエロゲーを買って半年かけてプレイしたり、3年前に放映されたアニメをビデオ買って観たり、百年前の小説を丸1年がかりで読んだり、賞味期限2週間切れのワッフルを食べて2日寝込んだり(実話)、とにかく僕はいつもそうして世間の流れから取り残されてばかりで、今日という日が永遠に逃げ去って行き追いつけないような気がしてならない訳ですが、要は部分的にしか観たことのなかった『新世紀エヴァンゲリオン』TVシリーズ全話をようやく初めて通して観たという事です。無論これといった感想も今更ない訳で、まあ観終わった後に思ったことをそのまま言えば感想になると言うのなら「感動的と言えば感動的だが、しょうもないと言えばこれほどしょうもない作品も稀。無闇と大風呂敷を広げて客を混乱させる手際、映像的な美しさ(就中ディテールへの拘り)、登場人物が残らず不幸になる所、そして何よりも見終わった後の圧倒的な後味の悪さといった幾つかの点で、僕は例えばスタンリー・キューブリックの作品を思い出した。」などと言ってみせ、ついでにそこから尤もらしいエヴァ論の一つもデッチ上げてみても良いのですが、言うまでもなくそういう気にはなりません。
つうか分かんないんですよ。通して観ても。繰り返して観ても。やっぱ。映画も観てないし謎本も読んでないし。まあ物語として破綻してるんだから当然と言えば当然なんだけど。そもそも〔以下、余りに下らないので削除〕いずれにせよ'99年も暮れに近付いた今になってこんな事書いてる僕は早く死んだ方がいいと思いました。色々と迷惑だから。
そういう訳で特に書く事もないのだけれど(もう十分書いたし)、ただ気になるのはこの作品のとりわけ後半部が与える感動(感動的であることは確かなのだ)が、しかし果たしてアニメの感動か、という事で、まあ僕は毎週同じテレビ番組を観る習慣もなければレンタルビデオも利用しないのでアニメというものには相当疎いのだけれど、どうもエヴァ終盤の数話の超高速で超高密度で超複雑で超難解な画面の強度とその持続のもたらす快感は、僕がアニメに期待するそれではないという気がする。例えば『アキハバラ電脳組』という非常に評判の悪かったアニメがあって、僕はこれもまた夏休みに傑作選とか称して中途半端な時間帯に再放送されていた内のそのまた一部を観ただけなのだけれど、しかし僕はこの作品が好きだ。数話観ただけでも物語は貧弱極まりないし絵もぞんざいな部分があるしギャグはことごとくスベってるしで、それこそエヴァのように出来の良い作品と比べると遥かに下らない代物である事は一目瞭然だったのだけれど、顔面の半分を目が占める種類の生物が動いて喋ってものすごく陳腐な台詞を吐いて戦う画面を眺めている時の快感(敢えて言えば、恋情!)は、これがまぎれもなくアニメだという事を僕に実感させる。つまり萌えるという事だ。'80年代以降、子供ではなくオタクがアニメの主な消費者層となった事で、製作側も内容は二の次で絵柄(主に美少女)が彼らに受ける作品を作ればそこそこ儲かってやって行けるとタカを括って志が低くなってしまい、その結果アニメ界全体が停滞し不毛化したといった議論はよく聞くが、そしてそれなりに正しい議論だとも思うが、しかしそこから何か動くとは到底思えないし、現に今アニメを観ているオタクはそれで満足しているのだ。だから『アキハバラ電脳組』は余りにオタク受け狙いが露骨でイヤだなどと妙に評論家ぶった物言いをするのはやめてオタクは黙ってこの駄作を観るべきだし、アニメ製作者も全員が庵野秀明になれる訳ではないのだから(なったらイヤ過ぎ)、アニメに必要なのは可愛い女の子と格好いいメカと陳腐なセンチメンタリズム溢れる投げやりな脚本と人気声優だけだと割り切って、余計な向上心やオリジナリティ志向を捨てて職人芸的な仕事を良心的に続けるべきだと僕は本気で思う。そして言うまでもなく、そうした一見不毛に見えて本当に不毛な量産体制の中からしかエヴァのようにアニメの枠組を超えた質的達成は現れ得ないのだ。
要するに量的拡大が質的低下をもたらす事は事実だが、その結果としての突然変異の頻度の高まりにしかわれわれは最早や期待できないし、またそれに賭けるしかない、というのが僕の考えなのだけれど、さて翻って不毛な量産体制それ自体を見ると、しかしここにはまた別種の、何か野蛮な放埓さに近い快楽が確実に潜んでいるとも思う。精神分析的に言えばイドに相当する、快感原則の世界とでも言おうか。例えば、これは以前別のコンテンツでも書いた気がするけれど、B級映画というのはもう30年くらい前に映画産業の構造的変化とともに消滅しており、今となってはせいぜいその低俗さや猥雑さやバカバカしさや胡散臭さを懐古してB級狙いの普通の映画を作るしかなくなっている訳だが、それはB級映画の量産体制という不毛さの中に潜んでいた快楽が、失われた後になってようやく見出されたという事ではないのか。或いはエロゲーだって同じだ。近年ますます乱立傾向にあるブランドが、愚にもつかない、まあはっきり言えばオカズにもならない低レベルの描画と脚本を備えた駄作を濫発するという状況を抜きにして、例えば『ONE』のような傑作が突然ポンと現れてくれるなんてムシのいい話はあり得ない訳だが、しかしまた全てのエロゲーが『ONE』である必要はない。その他沢山の有象無象ひと山いくらのエロゲーが作られるそばから消費され忘れられて行くというこの現状には、それ自体で既に何か快楽の如きものがある筈だ。世のエロゲーユーザー達はどこかでそれを嗅ぎとっていると僕は思う。そして僕がエロゲーレビューを書く理由の一つにはこの点を明確にしたいという事があるのだが、しかし理性にとっては死角にあるこの快楽は、果して批評の対象たり得るものだろうか? ←話がどんどん逸れたから一応結論らしきものをつけてみました。
インターネットというのは人の参加意識を無駄にそそってくれる部分があって、仕事とかでなく趣味でネットに繋いで1年2年と経つのにホームページの一つも作ろうという気にもならず掲示板に書き込んだことすらない人というのがもしいたら僕は最大級の賛辞を惜しまないつもりなのだが、やはり誰しも何かしらやりたくなってしまうものらしい。そろそろサイト開設1周年という些かもめでたくない期日を迎えようとしている僕は、そう思うと妙な妄想の如きものに捕われずにはいない訳で、例えば西暦20XX年(←最近見かけない言い方)、今やインターネットは現在の電話以上の普及率をもって全世界の全個人を結びつけていたのだが、そこではインターネットに接続する事とホームページを持つ事がほぼ同義語となっている。背景としてはネット上での個人の責任の所在を明確にするためとか色々考えられるが、要はネットやっといてページ持たない奴などいないのだ、という単純な事実のもたらした必然的な結果だろう。現在ネット接続時に使っているブラウザ、メーラー(含ポスペ)、チャット、オンラインゲーム、FTP、ダウンローダーといったアプリケーションは全て一つにまとめられており、ネットへの接続はこれを通じてのみ可能となっている(最近のパソコンに付いているらしい「インターネットボタン」というのは無論この先駆的段階である)。というか、電源を入れたら強制的に自動接続だ。初回接続時には自分のホームページがこれまた強制的に自動生成され、ブラウザのスタートページもそこで変更不可。他のページをブックマークに入れるとは取りも直さずリンクすることを意味する。今のわれわれにとってのローカルディスクなるものは最早や事実上存在せず、全てのファイルは全ての他人が閲覧可能であり、従って何気なくメモ帳に書いた駄文がそのままホームページの日記(テクスト)コンテンツとして衆目に晒される事となるのだ。あ、これは今でもそんなもんか。
例えば僕の知っている多くの個人サイトは、まあ絵描きさんとかは別にしても、初めは色々とコンテンツを揃えて出発したのにいつしか日記がメイン、というか日記だけ更新という形になってしまっているというパターンが多いのだけれど(当サイトもまた然り)、それは飽きてきたからとか言いたい事は全て日記の中で書けてしまうからというよりも寧ろもっと単純に、見る人がそれで満足しているからなのだと思う。そして客がそれで満足しているのは、ウェブサイトの日記というのが(いわゆる)日記とは違って公開を前提に書かれているため作品的価値があるからでは勿論なくて、彼らがそのウェブマスターが日々何をし何を考えているのか、大袈裟に言えば生きざまを見たくて訪れているからに他ならない。そうでなければ大して面白くもな(検閲)惰性で(検閲)などという現象が起こり得る筈がないのだ。或いはここに、連作が出来ないため農地の牧畜との循環利用(従って大土地所有制)が要請されたヨーロッパの小麦文明とは対照的に、連作障害のない稲作に拠ったため同質的な社会が形成された日本に特異な文化のあり方、つまり万葉集の詠み人知らずから俳諧を経てのど自慢やカラオケにまで至る、素人がかなり容易に創作と発表に携われるという伝統的背景を読み取ることも可能ではあろうし、確かに英語とかの個人サイトで特に有益な情報を含むでもない日記だけで客をガンガン呼べている所があるという話は聞かない(僕が知らないだけかも知れないけど)のだから今自分で書いてて尤らしい話だという気もしてきたのだけれど、それはここではどうでも良くて、とにかく、客は主の生きざまを見にページを訪れる。そこまで主客の関係が生々しいものになって来れば、最早やコンテンツを分けて客に奉仕する必要などない。これは無論半分は馴れ合い(まさに日本的な)だが、また半分は逃げ場がないという事でもある。例えば面白い事を書けば面白い事を書いているという生きざまを、面白い事を書こうとしてスベっているならそのスベりざまを、また更新しなければ更新しないという生きざまを客はそこに読み取るだろうし、或いは男がネット上で女を騙ったところでそこに現れるのは女を騙っている彼の姿でしかない(無論この場合相手がそれを信じているかどうかは関係ない)。約言するにどんなにポーズを決めようとも客はそのポーズまでを含めた全体を見てしまうのであり、従ってネットでの嘘はバレるバレない以前にそもそも吐くこと自体が不可能だとさえ言えるだろう。勿論それは倫理的にシビアな意味ではなく、自分という人間が他人には自分で思っているのとはまるで違った姿で見えているという単純な現実に過ぎないのだが、まあそれはそれで十分シビアだが、ともあれ誤魔化しが効かないという事だけは確かだ。
年の瀬になって嬉しいニュースが舞い込んで来ました。他でもありません、雅子妃の流産以前古書店の目録を見て申し込んでおいた薬師寺章明『評説牧野信一』(昭41、明治書院刊)が遂に手許に届いたのです。ああ、この喜びを分かち合える友がいないのが僕は残念でならない(分かち合えない普通の友だっていないが、その事はこの際どうでもいい)。2万円でした。はっきり言って安いです。神保町でもっととんでもない値段がついていたのを見たことがあります。そもそもこの本は、牧野というマイナー作家を単独で扱った刊行書として柳沢孝子『牧野信一 イデアの猟人』(平2、小沢書店)と並び称されるというよりはその2冊きりしかない内の一方であり、少なくとも伝記的方面では質量ともにこれを超える牧野研究はちょっと出ないだろうというよりは誰もやらないだろうと言われるまさに牧野マニア必携の一冊で、ここ数年来僕がどうしても手に入れたいと思っていた少数のというよりは殆ど唯一の書物なのです。これで少しは僕の喜びの内実がお分かり頂けたでしょうか。いやまあ無理して分かってくれなくてもいいんですが。
考えてみると単に欲しい本なら確かに幾らでもあり従って本屋や古本屋へ行く度に何か買ってしまって部屋が蔵書で埋め尽されつつある訳ですが、しかし本当にどうしても欲しい・読みたい本というのがどれだけあるかというと実はそう多くはない気がします。数年前なら結構あって、それは例えば人文書院版『牧野信一全集』であったり第一書房版『牧野信一全集』であったり牧野信一文学碑建立記念誌『サクラの花びら』であったりしたのですが、一つにはそれらを苦労しつつも徐々に買い集めたためともう一つには物欲を始めとする欲望全般が歳とともに減退気味であるせいか、今ではとんと少なくなり、しかもその筆頭であった『評説牧野信一』も手に入れたとなるといよいよ少なくなり、一応グスタフ・ルネ・ホッケの『迷宮としての世界』と『文学におけるマニエリスム』の絵入り大型合本版(Rowohlt,'87)という、大きくて重くて綺麗で僕には読めない(ドイツ語)が持っているとかなり格好良さそうな本がこの度繰り上がって欲しい本1位になった訳ですが、ではそれを手に入れるためにこれから古本屋を回ったり金を溜めたりする気があるかというとやはりない訳で、まあ大学の図書館には入ってるんで卒業記念に持ち出して来ようかとも思ったり、でも鞄に入りきらないほど大きくて重い本なのであっさり諦めたりしているような次第です。
そうそう、牧野信一で思い出したのですが、先日学校のプリント類を整理していたら数年前に書いた小説のコピーが出てきまして。これは何かと言うと、当時僕が履修していた「文章と表現」という非常に漠然としたタイトルの、某中堅作家が講師として来て学生に作文をさせたりするという講義で、夏休みの宿題として書かされた(そして勿論僕は提出日の前日に書いた)、僕にとって最初の短編小説なのです。提出してしまって手許には残っていないと思っていたのですが、コピーがあったとは。甘酸っぱいものを感じます。思えば当時これが妙にその先生に誉められてしまったために、子供の頃からおよそ人に誉められる真似をして来なかった僕はひとかたならず喜んだ挙句翌年には自発的に小説を書いたり何かするに至ったのですからまあ罪作りな一作ではありました。で何でこれが牧野信一と関係あるのかと言うと。そもそもこの「文章と表現」、講義の形式としては提出されたものの中から先生が優秀作を選んで本人に朗読させて講評を加えるといった感じでして、従って僕もこれを大教室の壇上に出て大勢の学生の前で読み上げさせられた訳です。恥晒しもいいとこですね。で読み終わって穴があったら入りたい、上手い具合に穴の深さが十分ならば飛び込んでそのまま死にたいという気分になっている所に、追い討ちをかけるかのように先生が色々訊いてくるのです。でその質問の一つに好きな作家はというのがありまして、僕は当然迷うことなく牧野信一と答えました。実際この短編は非常に牧野的だと、少なくとも当時自分では思っていたのです。さて数日後。別の授業で一緒の女の子と話していた所、彼女も「文章と表現」に出ていて僕が小説を読み上げるのを聞いていた、「面白かったよ。」などと言い出すではありませんか。再び死にたくなりました。がしかし。続けて曰く。「聞きながら、ああ牧野信一だなって思ったよ。私も牧野好きだから。」僕がこれを聞いてどんなに喜んだか。喜びや感謝の表現に拙劣な僕はその時も適当な言い訳みたいな事を呟いて済ませてしまったのだけれど、たぶん彼女をぎゅっと抱き締めてあげるべきだったんだと思います(やらなくて良かったけど)。とにかく牧野信一とは僕にとってかくまで特別な作家なのですが、ただ後になって気付いてみるとこの小説、牧野よりも寧ろほりのぶゆきに近いかも知れないという気がして来て、まあどっちも好きだからいいんだけどそれなりに複雑な気分でもありました。で→実物。今読むと文章下手だね、すごく。
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モナリザ↑。とか、こういうのってたまにWebで見かけるね。そればっか集めたサイトもあるくらいで。なんか正式な呼び方とかあるんでしょうかね。僕は知らないんで「これ」と呼んで話を進めますが、これは歴史としては恐らく案外古く、例えば戦前の雑誌とかを眺めていても「タイプライターで描いたリンカーンの肖像」みたいなのが一寸した埋め草として載ってたりして、まあ同じものではないにせよ原理的にはその辺にまで遡れると思う。つまり個人で活字が打てるようになって出現した遊びといった所なんだろうけど、もっと興味深いのはそれが方法論として印象派、或いはとりわけ点描画と時代的に平行しているという点だ。つまり、時代的に言うとタイプライター自体は18世紀初頭に発明され1873年にようやく商品として実用化されている訳だが、「これ」との関連でより重要な年号は、スーラが厳密な科学的理論に基づいて「視覚混合」をキャンバス上に実現する点描主義と呼ばれる絵画技法によって制作するようになった1885年の方である。
まず確認しておくと、近代西洋絵画を特徴づける遠近法という技術はレオナルド・ダ・ヴィンチのカメラ・オブスクーラ(暗箱)、つまり眼前の風景を均質な三次元空間として捉え(これは今のわれわれにとっては自明の事だが決して普遍的ではない)、それを二次元上に定着するという装置によって発達したものであり、言うまでもなく写真及びそれを連続的に映写する事で動きを錯視させる映画という装置はこの視覚的制度を正確に引き継いでいる。印象派を始めとする19世紀の新しい絵画技法はこのような制度に対する反発として現れたものであり(もっとも印象派と写真の密接な関係はこのような単純な図式化を困難にはするが、まあ今はどうでも良い)、例えばモネは弟子に「あそこに木があるとか池があるとか考えないで、単にここにこういう形の緑色があると捉えてそれをそのままキャンバスに塗るようにしなさい」みたいな教え方をしたそうだが、この教授法がどの程度の実効性を持っていたかはまず置くとして、重要なのはこの言葉が均質な三次元空間を否定し色の点の集合によって画面を作るという印象派の中心的な技法を明確に言い当てているという事だ。そしてこのように言えば、カメラ・オブスクーラが写真及び映画というテクノロジーへと発展したのと対照的に、印象派が点の集合によって画面を構成するテレビの技法へと引き継がれる発想であった事は明らかだろう。人間の美意識或いはより一般的に言って感性の変化は常にテクノロジーの進歩と平行している訳だが、「これ」の言わば祖形に当たるものがタイプライターで描かれた時にも、背景にはそのような感性の変化があった。筈だ。たぶん。
で話はいつもの様にどんどんズレるんですけど。例えばクイーンの『オペラ座の夜』が今聴くと恐らく当時とは違った意味で面白いのは、現在の録音技術ならもっと狙い通りの凄いものが出来そうなのにそうはなっておらず、当時の貧しい技術でものすごい強引な事をやって作っているからだと思う。つまりフレディ・マーキュリーの音楽的センスが時代のテクノロジーをブッちぎるほど速かったという事なのだが、そのズレは決して不幸な食い違いではなくて寧ろ生産的な差異なのだ。われわれの感性に「良い」と認められるのは、最新のテクノロジーか十分古くなったテクノロジーかのどちらかである。例えばCDに慣れた今のわれわれの耳はレコードの音に懐かしさや深さや温かみすら感じるけれど、レコードが発明された当時の人々にとっては生の音を機械が記録した冷たいものと感じられていた訳で、レコードを温かいと感じるわれわれの感性が「間違っている」訳ではない以上やはり感性の方がテクノロジーによって変化を蒙ったと考えるのが至当だし、或いは同様の変化は例えば銀塩写真とデジカメにおいて今も起りつつある。まあ要するに10年前の流行の服は恥ずかしくて着られないが30年前のなら逆に新鮮に見えるという程度の話なのだけれど。で「これ」に戻ると、現在われわれがこれを何らかの愉しさを感じて眺めているとしたら、それはタイプライターからワープロ・パソコンへというテクノロジーの進歩によってわれわれの感性もまた変化したからに相違ない。文字をキーで打つそばから印字する機械においてはその文字はまだ物質性を保っていたが、僅かな操作で移動・複写・消去といった編集が可能なモニタに一時的に現れているに過ぎない文字列は最早やモノとしての手応えを感じさせず、まさに「情報」という抽象的な対象物である。そしてその情報の集合が、図らずも文章としての意味内容ではなく視覚的な意味(この場合ならモナリザ)をもたらすから面白いのだ、という事が分かり、そしてまた同時に、今日の話は論理が荒過ぎて読むに耐えないという事も分かるのである。正月から何やってんだ俺。
お正月と言えば歌舞伎と相場が決まっていて、やはり歌舞伎座か、それとも浅草公会堂へ行って帰りに仲見世を通ってお参りして来るのも乙だ、或いはぐっと渋く国立劇場という選択もある訳で、毎年悩まされるところです。更に今年は新橋演舞場でも何十年ぶりとかで新春大歌舞伎をやるそうで、ただでさえ人一倍決断力に欠ける僕はいよいよ苦しい立場に追い込まれました。まあ世間で一番話題になっているのはやはりその新橋の夜の部で新之助が初めての助六に挑むということで、これに興奮しないような奴は江戸っ子じゃないですよ! のだけれど、僕は今は都落ちして神奈川在住のためか、結局昼の部に大決定。ギャフン。いや、勿論助六も見たかったんですけどね、團十郎の勧進帳に菊之助の弁天小僧というのが僕的にはかなりキたんで。ていうか今回のこれはプログラム的に明らかにやりすぎですよ。昼の部が今言った二つと「寿曽我対面」、夜の部は「義経千本桜」「身替座禅」そして「助六」。例えば普段でもたまに歌舞伎座とかでやや無理のある狂言の並べ方を見かける気がするが、これはそれとはまた別の意味で反則気味だ。まあとにかく新橋へ。席もそこそこ良いし、上述の頭痛も少し治まっていたのでこっちの準備は万端です。まず「寿曽我対面」。富十郎の工藤祐経に新之助の朝比奈。しかし新之助って見る度に父親に似てくるね。親子とは言えここまで似るものか。曽我五郎は辰之助、十郎は菊之助で、二人して花道から出て来ると流石におおカッコ良いと思わされるのだけれど、辰之助がひどい風邪声だったのが気になりました。役者って休めないから大変ですね。お大事に。続いて「勧進帳」。これはもう何も言う事がない。團十郎の弁慶は当然期待に違わぬものだったし、菊五郎の富樫も八十助の義経も文句無し! バカみたいな感想だけどそういうもんなんだよ。最後、「弁天娘女男白浪」。キた。これだ。僕はやはりこういうのに弱い。完全にやられた。まず浜松屋見世先の場、左團次の南郷力丸に富十郎の日本駄右衛門、なんだけど、菊之助がもうムチャクチャ綺麗。で番頭(鶴蔵)との「今日は新橋演舞場が大へんなにぎわいのようで……お嬢様もお芝居はお好きでございましょう、ひとつ贔屓の役者を当ててみせましょう。尾上……菊之助でしょう?」「私はあんな役者は大きらい」云々といったお約束の遣り取りの後、百円せしめて帰ろうとすると奥から侍が出て来て「早瀬主水と名乗る者、わが屋敷に覚えない。」で、「こう兄貴、もう化けてもいかねえ。俺あ尻尾を……出しちまうよ。」ああ。何てカッコ良い。マジでドキドキする。そして素性を名乗る名台詞(「小耳に聞いた父っつぁんの」)。この場面は僕の弱い所をピンポイントで狙い撃ちしてくれる。余りの快感に、続く稲瀬川勢揃いの場になっても幕が開いて桜が満開の土手が現れた途端幸福感で頭の芯が痺れたようになってしまい、忠信利平役の辰之助がうがいでもしたのか喉の調子が少し良くなっていたとか、富十郎がまた随分底の厚い下駄を履いていたとか、大体この完全に二世代に渡ってしまう五人男というのもどうか、やはりこうして並ぶと三之助の若さが目に立ってしまう、とかいった事は気にする暇もない程でした。気になったけど。で二幕目、極楽寺屋根立腹の場。弁天小僧が悪次郎(松辰)を斬って追っ手とさんざんアクロバットをやった末、立ち腹を切って果てる。と屋根が後ろへあおり返って山門の場、更にそこから迫り上がって滑川土橋の場、とスペクタクルな展開で幕。という訳で菊之助に恋患いしたようにボーッとなって帰途につきました。確かに菊之助は若いからこの弁天小僧も白浪という程大層なものではなく、寧ろそこいらのチンピラに近い気もしたけれど、でもまあこの役は初演時からして五世菊五郎が弱冠19歳とかでやったそうだし、そういうもので良いんだと思う。ていうか良いんだ。これで。文句言う奴は俺が許さねえし。
さて、既にお気付きの方も多いと思われるのですが、正月の歌舞伎は別に一人一回しか見られない訳ではないのだから、日を改めて(同じ日でも良いが体力的にはちょっと辛い)夜の部のチケットもとれば弁天小僧と助六と両方見ることも勿論可能なのです。然るに僕がそれをしなかった理由はただ一つ、金がないから。再びギャフン。こういう時に質に入れて金を作るために女房の一人も持っておこうかという気になります(その際イスラム教徒やモルモン教徒だと一層お得だゾ)。学生は暇はあっても金がないので暇を金に換える手段としてアルバイトというものがある訳ですが、金だけでなく気力とか体力とか勤労意欲といったものが根こそぎ欠落した僕にはそんな気の利いた真似も出来ず、それにつけても思い出されるのは去年のお正月、浅草公会堂へ歌舞伎を見に行った時の事です。あの時僕が菊之助の娘道成寺にどれだけ夢見心地にさせられたか……とかは書いてももう誰も読まないだろうから省くとして、休憩時間にロビーで見かけたオヤジ数人組がいまして。各々五十六十がらみのいい年で付き合いはもうかなり長いのでしょう、さっき見た「寺子屋」の感想とかを、但し決して熱くはならず適度に引いた感じで話したりしていて、カッコ良いなあと思って何気なく聞いていると、やがてその中の一人が「じゃ俺、これから歌舞伎座だから。」と言って別れて去って行くではありませんか。どうですかこれ。正月から芝居三昧、気の合う仲間とダラダラと下馬評、しかも公会堂と歌舞伎座をハシゴ。ムチャクチャ羨ましい境遇です。僕は自分が若い事に一文の価値も認めていないので、とっとと年を喰ってしまいたいと常々思っているのですが、こういうのを見るといよいよその思いが強まります。ああ早く年をとって、せめて助六と弁天小僧を両方見られる位の金を手にしたいなあ。という事を人に話したら、「でも年だけとっても働かなくちゃ金はないままなんだよ。」と言われました。三度びギャフン。働きたくねぇ~。
僕はよく知らないのですが一日起動しないでいると手が震える等の症状が出る人もいるらしいダウンロードツールIriaの新しいアイコンについては、既にその方面では激しい議論が巻き起こっているようですが、僕も確かにあれは萌え過ぎだと思います。なにせえここ。しかもバージョン情報→右クリックでアイコンが選べて、でじことかまで入ってるんだからそりゃもう鬼のように萌えます。どれを選んでもまず泥沼です。男なら誰しも余裕で2時間は悩むべき場面でしょう。
結局僕はえここ2に落ち着いたのですが、しかし本当の戦いはここからでした。何しろデスクトップに並んだ.iriファイルが全部えここです。えここが勢揃いして僕に笑顔を振りまいてくれているのです。どうしろと言うのですか(取りあえず身悶えなど)。しかも隣には勿論RarUtyのマルチです。デスクトップのアイコンが気になって気になって文章もロクに書けないという事態に見舞われるとは全く予想だにしませんでした。いや真面目な話かなりドキドキしてます。異常ですか。バカですか。気味悪いですか。いいんです。萌えてるんですから。
しかし改めて考えてみると萌えるって何なんでしょうかね。僕もこの言葉はご多分に漏れずネットを始めてから知った(そして使うようになった)訳で、その語源については「ニフティのフォーラムで誰かが誤変換して流行った」「いや同人誌ではそれ以前から使われていた」「恋緒みなとのマンガで使われていた」「X68時代のネットでセーラームーンの土萌ほたるを語源として使われだした言葉だ」「いや違う、同級生の萌だ」「いや太陽にスマッシュの高津萌だ」「いやいや恐竜惑星の萌ちゃんだ」等、諸説あるようです何の事やらさっぱり分かりませんが。あらゆる単語について言える事ですが語源などというものは分からない、というよりそもそも存在しないフィクションの様なものなのであって、にも拘わらずわれわれが普通に自然に考えるとやはり語源というものが在る(或る単語はいつどこでどのように使われ始めたか特定できる)と信じられてならないのは、共同体が常に天地創造に始まる神話というフィクションを捏造することで自己の起源を特定しようとするのとパラレルな、形式化して言えばある体系が外部に対して自己同一性を保とうとする際にごく一般的に観察される機能な訳で、ただ現代において例えば「だっちゅーの」と言い出したのはパイレーツだといった具合にこと新語・流行語に関しては語源の特定がある程度可能となる場合もない訳ではないが、それはマスメディアという閉鎖的な言語空間においてのみ可能となる極めて特異な、敢えて言えば畸形的な言語のありようだという事は注意しておかねばならない。
で話を戻すと。「萌える」という言葉によってしか指し示し得ない一つの事態がこの言葉によって確かに存在するようになった、つまりこの言葉によって新たな分節化が発生したというのは事実であり、この徴候的な事実を巡って既に多くの考察がなされてきた事も従って当然と言えよう(a_promptにある有名なコラムとかサンバのエロゲー千夜一夜とか或いは複製美術館の「萌える」人々とか)。しかしそこで意外と見落とされがちなのは、萌える人々は一つのキャラにいつまでも萌えている訳ではなく、適度に熱中してやがて萌え尽きると別のキャラを見付けてきて今度はそれに萌えるということを繰り返しているという点である。つまり萌えるというのは行為や状態ではなく一連の反復過程と捉えたほうが良い。これが重要なのは、あるキャラに萌えるとは例えばRPGが好きだとかラブコメが好きだとかTB303が好きだとかいった嗜好ではなく、萌える者の言わば性向に関わる問題だからだ。よく笑う女性が好きだとか胸の大きい女が良いとかは嗜好だが、それだけで恋に落ちる人はまずいない訳で恋愛にはそれ以上の何か内的な契機が必要であり、例えば色々な女に次々と惚れ込んでしまうが振り返って見るとそれらが皆同じようなタイプの女ばかりだった、というような恋愛があり、スタンダールはそれを「情熱恋愛」と呼んだ。フロイト風に言えば幼少期における母のイメージに対する固執を反復的に想起する過程としてのこの種の恋愛においては、個々の恋愛対象は一般性としての或る女性のタイプの現われに過ぎない。われわれはこのタイプを、萌え文脈においては「属性」と呼んでいる筈である。そして問題となっているのがタイプの想起というイデアルな過程である以上、それが現実において現れるかモニタ上に現れるかは主観にとってさしたる相違をもたらさない。つまり萌えるとは、次々と新作をリリースし続けねばならない高度消費社会を絶対的な裏付けとして展開したオタク文化における情熱恋愛のありようと言って良い。従って萌える人々を、気持ち悪いとかみっともないとか言って嫌悪するのは単に好き嫌いの問題だからどうでもいいとして、それを現実で恋愛が出来ない人間の自閉や逃避と見なして批判するのは見当違いである。オタクが萌えるのは欲望に正直だからではなく、単に彼らの欲望が正確だからなのだ。