2022年10月22日 04:49

ブログを作ったはいいけど別に書くこともなくて、しかし目的もなく書くだけ書いた文章は腐るほどあるので、適当に貼っておく。これは2016年4月頃に書いた。
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2022年10月20日 03:01


と適当なことを先日書いたが、しばらく出番がなくなっているハル姉を軸に読み返しても面白い。例えば第1話では次のように発言している:

「産業を興すことがどういうことか… 儀式や祈りの時間 友人や家族と過ごす時間を失うわ」

「代わりに帝国のために働くことになる…… それは奴隷になるのとどう違うの?」

ここからまず読み取れるのは、ハルが(他のガブール人たちと同様に)部族社会の住人であること、そして産業を興すことはそれが世界資本主義に呑み込まれ崩壊に至る道だと理解しているということである。そしてこの部族社会は、ルークが「俺たちは金貨なんてめったに使わないだろ」と言うように、経済的には互酬性の世界である。

ルークはこれに対し「ハル姉はハル姉のやり方でみんなを守ろうとしてるんだな なら俺はカネでみんなを守るよ」という立ち位置を取る。「産業を興す」という言い方は村の工業化・製造業化、つまりモノを生産して売って利益を得る行為を指すように思えるし、実際「ルークには罰として本物の金貨づくりに従事してもらいます」と言うハルはそのように理解しているのかも知れないが、しかしルークが目指すところは異なる。上記の引用の直後に村人たちがルークについて証言するのは、いずれも生産ではなく売買にまつわるエピソードである:

「この子はルークが帝国の商人から買った薬で助かった!」
「獲った魚を高く売ってくれたわ」
「ルークの買ってくれた嫁入り道具で娘は結婚できた」

これはすぐ次の場面でグレシャムが首長に武器を売って「奴隷の密貿易」で儲けようとしていることと照応しているのだが、ルークが求めるのも「商談」、つまり産業資本ではなく商人資本のレベルでヴィクトニア帝国の収奪に抵抗することなのである。

なお「新通貨発行――一万ハル!!」は、シリアスなタッチで進んできたこの第1話が急転直下してギャグになる場面であることは勿論なのだが、同時に「力」を手に入れたルークの夢見る先、最後に位置する欲望の対象が描かれる場面でもある。ガブール神の問いかけに答えてルークはまず「ハル姉を助けたい」というシスコン的愛慕、次に「ガブール人みんなを幸せにしたい」つまり帝国の収奪・奴隷狩りからの解放、そして「カネが欲しいッ!!」と3つの欲望を段階的に語る。これらの欲望が綜合されたものが、通貨発行権をもつ独立国家の「一万ハル」というイメージで形象化されているのである(つくづく思うが、もうこれだけで凄まじいセンスだ)。

さて第7話では、「相手に得させて自分も得する」というルークの考える「『商売』の理想」をハルが称賛している:

「すごい すごい!! 偉いよルーク!!」

「ルークのこと応援するよ!!」

何気ない姉弟の会話のようだが、第1話を踏まえて読むとこれは微妙に噛み合っていない。すなわち、ルークは帝国による収奪に代表される「争い」ではなく「商売」、流通過程において剰余価値が発生するためWin-Winで「二倍勝つ」ことが可能な市場経済の原理を選択する。これに対しハルは「争い」の反対を単純な互酬性と理解しているようである。互酬性とは、言ってみれば慣習や感情(ニーチェの言う負い目 = 負債)によって成り立つWin-Winだからである。

第20話はゼニルストン自治領というプレイヤーが登場する重要な回だが、ハルはそこにおいて「身分を明かしていないのに もう奴隷たちに慕われている」とされ、更に進んで第29話では「奴隷たちを元気づけるために 巫女の身分を明かし救世主伝説を語っている」とも語られる。これはルークが個人崇拝的でファナティックなガブール人信者集団を従えるのとは別の形で、ゼニルストン自治領におけるガブール人奴隷コミュニティという互酬的部族社会からナショナリズムが生まれつつあることを示唆するごとくである。

この第29話以降、ハルは最新第48話まで僅かな回想を除いては登場していない。読者はハルを囚われのお姫様という記号と見ても良いし、或いはネット上をふらふら見て回ると、ゼニルストンで独立勢力化するとか、極端な場合ルークと対立することになるといった予想も目にする。確かに地図上でも帝国の西に位置するゼニルストン自治領がアイルランドをイメージして創作されていると考えるなら、ハルに率いられた一党がフェニアンのような民族主義集団に行き着くという空想は面白い(ちなみにガブール人という架空の民族の造形には、「迫害と400年続いた奴隷貿易でガブール人は世界中に散らばった」〔第4話〕という設定から三角貿易におけるアフリカ人、新大陸に大挙して移民したジャガイモ飢饉以降のアイルランド人、或いはひょっとすると、商売が好きなルークや金貸しのクルツといったキャラクターの源泉としてユダヤ人、といった複数の要素が絡み合っていることが想定できる。この辺についてはまた別途書きたい)。はたまた、人形になったりラスボスになったりする『北斗の拳』のユリアの壮大なパロディだったりしても、それはそれで面白い。

まあ俺自身は、物語の先の展開を予想して楽しむ趣味はないので何も考えずに次回の更新を待つだけなのだが、とは言え、与えられた限りでの作品から読み取れることはもう少しありそうである。例えば第20話および第29話を読み返すと、ゼニルストン自治領は農業を主な産業としながら農作物を買い叩かれているという経済問題を抱えており、そのため帝国に対抗しうる「兵器級の『力』」を求め、「ガブール人の奴隷に苦痛を与えることで人為的に特別な『力』を開花させる計画」を進めている。しかし計画は成功に至っていない。ハルが登場するのはここにおいてである:

「巫女は特別な『力』の秘密を知っているという だからわざわざ遠くから巫女を取り寄せたのだ」

「巫女から秘密をすべて聞き出さねばならん!!」「計画は秘密を聞き出してからだ!!」

『ハイパーインフレーション』という物語においては、各人の持つ情報の非対称性が決定的なドライバとして機能する。例えばレジャットは「普通のガブール人は特別な『力』の存在すら知らないが 奇跡によって救われたという救世主伝説は知っている」という情報の格差を利用してガブール人奴隷たちを扇動し(第4話)、奴隷船でのルークは「レジャットは俺の贋札の番号を探っている!! だけど『そのことに俺が気づいていること』にレジャットは気づいていない!!」という一点において情報戦で優位を得る(第13話)。同様に異能についても「ガブール人の中から奇跡を起こす救世主が現れる」「救世主は特別な『力』を持つ」、そして「特別な『力』には『秘密』がある」という少なくとも3つの情報レベルが区別されており、ゼニルストン自治領の奴隷所有者たちの狙いはハルが知っている「秘密」なのである。

「特別な『力』の秘密」が何を指すのかは、分からない。俺は当初「力」が生殖能力と引き換えであるということを指すのかと思っていたのだが、しかし第11話によるとレジャットはそれを巫女から聞き出して既に知っていて、その上でルークを帝国に持ち帰って研究しようとしているのだから、だとするとどうも違うような気もする。何にせよ、作品が明示的に語っていないことを俺が語ってはいけない。

ただこの用語が初めて現れる第4話では、秘密を探りに来たレジャットに対し、巫女たちの中でハルだけが「何も話さなかった」と言われている。つまりハルは、ルークとは異なる社会経済的原理に立脚しつつ、しかし同様に信者集団を率いており、且つ情報においても別種の優位性を保持している。登場する場面の圧倒的な少なさにも拘らず、とりわけルークとの対比において、整理すると以下のようにかなり明瞭な輪郭が浮かび上がってくるようである:

経済原理信者集団専有する情報
ルーク商人資本個人崇拝ハイパーノートの番号
ハル互酬性ナショナリズム特別な「力」の秘密

と考えると最新第48話でハイパーノートの番号が遂にバレるというのは、当面の「攻守!! 交代!!」という以上に大きな意味を持つ物語上の転換点なんだけど、ここからどう展開するのかはいつも通り読者には全く読めない。俺がごちゃごちゃ考えたことも全部引っ繰り返されるかも知れない。


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2022年10月19日 04:20

そんでまあ、ここ数ヶ月ほど真面目に病院に通って、問診や触診やたまに血液検査をされたりしているわけですよ。でその度に薬を全7種類、年寄りみたいにどっさり貰って、「病院に通って薬の大袋を持ち帰るなんて年寄りみたいじゃないか」と思ったり、「いや寧ろ病院に通って薬の大袋を持ち帰るのはすなわち俺が年寄りだということではないのか」と思ったりするんだけど、まあそれはいいのよ。

それらの薬については「1日3回毎食後」みたいな指示がしてあるんだけど、問題は俺が1日3回もメシを喰わないということで、それでも指示通りに薬を飲もうとするならまず喰うことから始めなければならない。そこで通院を始めてからの俺の主たる努力はメシを喰うことになってくる。うっかり忘れてしまってはいけないので服薬した日時は几帳面に記録しているのだが、次第にそれを見て「前回薬を飲んでからもう8時間も経ってしまった、早く薬を飲まねば、そのためには何か食べなくては」と考えるようになり、更に昂じると「薬を飲むべき時刻から逆算するとあと1時間後には米を炊く等の準備動作に入る必要があるだろう」とか難しいことを考えるようになり、要するに、気が付くと1日が薬を飲むためにメシを喰うために回っているような状態になってきた。

まあそこまではいいんだけど、次第に疑問に思えてきたのがそもそも食後に飲めってどういう意味だ? 何が目的なんだ? 食後って何だよ? ということで、ぱっと思い付くだけでも例えば:
  • 胃にものが入っている状態で、すぐに続けて薬を飲まねばならぬ。
  • 胃の内容物はともかく、食べた直後で血糖値とかのアレが一時的にこう何かしている時(フワッフワ)に薬を飲むと、よく効くのである。
  • 現代の日本人は1日3食食べるものと決まっているのだから、食後に飲めば当然1日3回飲んだことになる。つまり食後とは服薬に適切な間隔を設けるための方便なのだ。
といった可能性がある。

ちょちょいとググれば答えが出てくるような問題ではあるのだろうな、と思いながらさのみ興味もないので放置して、依然薬は飲んだりたまに飲み損ねたりしてたんだけど、まあそれはいいとして、また通院したわけですよ。すると医師が前回の血液検査の結果を見て、何とかの数字が上がっている、ああでも何とかの数字はちょっと、しかし何とかの数字が下がらないのはなあ、とか言うのだが、俺には何を言っているのかさっぱり分からぬ。

まあそれはいい。と言うのもまず俺は、一般論として何事につけ知らないよりは知っている方が良いと考えており、少なくとも無知に居直るような真似だけはするまいと心懸けている人間であるが、ただ医学の領域に関しては、とりわけ自分の身に関わることであればこそ、生半可な知識で判断することは避けたいとも思っている。もっと言えばこっちがそういう面倒な知識を覚えずとも医師が宜しくやってくれる、そこまで含めての医療サービスだと思っているし、仮に俺が「ほう、FPX-δ(適当)の数値が改善しませんね。フパレバド(適当)を20mgに増やしてみますか」と言って「なるほどそうしよう」と応じるような医師がいたら怖すぎるじゃん。

だから勿論それはよくて、俺としては医者の話も犬の鳴き声と同じように聞き流すだけなんだが、ところが「ではお薬は同じものを出しておきます」と言うのに対して俺が「上述の通りであるため薬の減りが想定よりも遅い、今では結構余ってしまっている、2週間分くらい少なくて構わない」と述べたところ、「いや食べなくても薬は飲んでくださいよ、じゃないとこの数字も下がらないですよ」って言うんですよ。えっ? 言っちゃう? それ言っちゃう? 後出しジャンケンじゃね? 俺がこの数ヶ月どんな苦労をして薬を飲んで(飲むために頑張ってメシを喰って)きたと思ってんの?

ということで大いに不機嫌になったので、ここ数日はもう何も考えず、空腹であろうが食前であろうが機械的に薬を飲んで「よし食後に飲んだぞ、これで満足か、死ね」とか思っているんだけど、で結局食後って何だよ。


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