2022年10月24日 01:41

アナクシマンドロスのこと ― (1)年譜と学説

2014年5月頃に書いたメモを、せいぜい読める形に再構成してアップしておく。なお特記なき場合、章・節番号はディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』(Diog. Laert.)を指す。テクストはLoeb Classical LibraryのHicksの校本を用い、岩波文庫の加来彰俊訳を参看した。またディールス = クランツの断片集(DKと略)はHermann Diels - Walther Kranz, Die Fragmente der Vorsokratiker, 3 Bde.を用い、邦訳『ソクラテス以前哲学者断片集』(岩波書店)を参看した。それ以外のテクストは概ねLoeb Classical LibraryまたはOxford Classical Textsに拠り、必要に応じ各種の邦訳を参看した。



年譜

アナクシマンドロスについて分かっていることは多くない。まずはディオゲネス・ラエルティオスをベースに年譜を構成してみる。

BC出来事ソース
611ミレトスに生まれる2.1, 2; Hicks; 但しヒッポリュトスによると前610年(DK 12.A11)
c.586アナクシメネス、ミレトスに生まれる2.3; Hicks
570クセノパネス、コロポンに生まれる9.18; Hicks
(時期不明の逸話)タレスの弟子となる1.13, 14, 122
グノーモンを発明しラケダイモンに設置する。ホーロスコペイオンと天球儀を作り、陸と海の輪郭を地図に描く2.1f; 但しHicksはアナクサゴラスに帰するべきと
歌を歌って子供に笑われる2.2
(ポントスの)アポロニアへのミレトス人の植民団を指揮するAelianus, VH 3.17
アナクシメネスを弟子とする2.3
クセノパネスを弟子とする9.21
エンペドクレス、大仰な言辞と衣装でアナクシマンドロスと張り合う8.70
547-6
(第58回オリンピック大会期の第2年)
アナクシマンドロス64歳、その後間もなく没2.2; Hicks
546サルディス陥落。アナクシメネス、この頃生きていた、また盛年2.3; Hicks; DK 13.A2
548-545
(第58回オリンピック大会期)
タレス没、享年781.38f; 加来訳註
540-537
(第60回オリンピック大会期)
クセノパネスの盛年9.20
528-525 (第63回オリンピック大会期)アナクシメネス没2.3
478クセノパネス没Hicks

なお以上のうち、エンペドクレスとの交わりは明らかに年代が合わない。またアイリアノスの伝える政治活動は、類似の逸話が一切見当たらない。まあそれを言い出せば、Diog. Laert.のこの章からしてひどくいい加減で、DK 12.A1の註に従いアナクサゴラスやピュタゴラスの逸話の混入を除去すると本当に数行しか残らない。


学説

始元
Diog. Laert.の配列では第1巻の賢人時代が終わりここから自然哲学者に入るわけだが、その説はタレスから天文学の知識とともに受け継いだと思しき「万物の始元」(1.27)の概念を、水から「無限なもの」(τὸ ἄπειρον、2.1)に拡張しただけと読めてならない。これは或いは俺が、始元 = 質料の一元論に対してアナクサゴラスがヌース = 原因を導入したというアリストテレス的な理解を前提としているためだろうか。確かにアリストテレス(Phys. 203b6)はアナクシマンドロスの説を無限なるものの一元論と捉え、従ってそれ(素材)と並んで別の原因(知性や愛)を立てたアナクサゴラスやエンペドクレスから区別している。作用因や知性を立てなかったことを難じているアエティオス(DK 12.A14)、アウグスティヌス(DK 12.A17)の理解もこの線上にある。

但しアナクシマンドロスはタレスと異なり、始元からの生成を詳しく語ってくれている。まずこの始元は、それ自体は生成・消滅しない永遠・不老のものであり(DK 12.A15, B2, B3)、個物はそこから生成しそこへ消滅する(DK 12.A14, B1)。始元は大きさにおいて無限であり(DK 13.A5)、そのため生成・消滅は永遠に続く(永遠の動、DK 12.A9, A14-15)。謂わば無限個の個物が永遠に生成・消滅を続けるという世界である。この関係は、始元が万物(個物、世界)を「取り囲み操っている」(DK 12.A11, A14, A15)という用語で表現される。

そして生成・消滅の運動は、始元に内在する対立的要素(熱と冷、乾と湿、等)の分離として説明される(DK 12.A9, A16; Aristot. Phys. 187a20)。つまりこの始元は質的に均一ではなく(DK 12.A16; なお2.1「部分部分は変化するが全体は不変」)、多様な諸要素が予め内在している(DK 59.A41)。「それを空気や水やその他のものとして限定しなかった」(2.1)というのがここで効いてくる。タレスとの差異はここにあるし、恐らく、ここにしかない。すなわち始元から水や湿という個別の特性を除去する、或いは個別の諸特性の上位に立ち且つそれらを内包するような始元を想定することで、始元に変化や動きという契機が導入され、これにより生成のダイナミクスが説明できるようになった――尤も、以上の理解もやはりアリストテレスに頼り過ぎである。

一つ分からないのは、この始元は量的に無限(DK 12.A17)だが、同時に質的にも無限か、ということである。シンプリキオスは「単一ではあるが大きさにおいて無限」(DK 13.A5)と言うが、対立的要素が予め内在しているのだから「単一」と言っても「均質」をイメージしてはならない。では何種類の要素が内在するのか、どの程度多様なのか? 「無限種である」「無限に多様である」、と答えたくなるが、それを裏付ける証言はない。アリストテレスは、エンペドクレスが基本要素を4つ(四大)に絞ったのに対しアナクサゴラスでは「同質的にして反対的なるものが無数にある」(Phys. 187a20)と言っており、それならアナクシマンドロスについても特定個の基本要素を立てていないからには同じことが言えそうなものなのだが、とにかく明示的な証言は見当たらない。

なおアナクシマンドロスが「始元」という名称を初めて用いたとする説(DK 12.A9, A11)がある。Diog. Laert.はタレスのところ(1.27)であっさりこの言葉を使っているが、もしそうだとしたらタレスは水を何と呼んで(考えて)いたのか、は問題として良いだろう。

そもそも、タレスは始元について考えたというだけで、その始元からどのようにして個物が出来るのかという「生成」については何も言っていない。全ての資料がこの点について沈黙しているという事実は、この問い自体が彼には存在しなかったことを思わせる。とすると、アナクシマンドロスの劃期性は始元を水から「無限なもの」へと拡張することでこの問いを導入したこと、別言するなら、ヘシオドス・エピメニデス・ペレキュデスらの扱ってきた「生成」の問題をタレスの始元論に接合したこと、と言えるのではないか。

天文学・宇宙論
「月は太陽の光で輝く」「太陽は地球より小さくはなく純粋な火でできている」(2.1)の2点はDK 12.A1註2に従いアナクサゴラスの説の混入として退ける。本来のアナクシマンドロスの説は、諸天体を火の環状体とし、蝕と盈虧を孔の開閉によって説明する(DK 12.A11, A18, A21-22)ものであったらしい。環状体と孔のアイディアはパルメニデス(DK 28.B12及びその訳註(1))に継承されている。蝕についてはタレスが「日食は月が太陽の下を通るために起こることを発見した」(DK 11.A3)のだとすると後退しているように見える(尤もDK 11.A5註1によれば「タレスは(……)日食という事象についての確たる知識は持ちえず、経験的に見積もられた日食の発生確率表(……)を知っていたにすぎなかった」)。なお蝕についてのこの正しい説明はアナクサゴラス(DK 59.A77; Cic. Rep. 1.25)、エンペドクレス(DK 31.A59, B42)にも見える。

「地球は球状であり宇宙の中心にある」(2.1)ともあるが、DKの複数の資料が証言するところでは大地は円柱状(DK 12.A10, A11, B4)なのでこれも怪しい。なお「地球は球状で宇宙の中心にある」はピュタゴラス(8.25)、パルメニデス(9.21)、アポロニアのディオゲネス(9.57)にも見える。一方アナクサゴラス(2.8; DK 59.A87-88)、アナクシメネス(DK 13.A20)は平板とし、レウキッポス(9.30)、デモクリトス(DK 68.A94, B15)は窪みのついた銅鑼状、または長方形とする。

円柱状の大地に環状体の天体から成る宇宙の具体的な姿がどうも俺にはイメージできないのだが、いずれにせよ主として生成論に由来する思弁的な宇宙論ではないかと思う。とすると天体観測器具の発明・作成が複数帰せられているのは不自然で、Hicksはアナクサゴラスに帰するのが適切と言うが、首肯される。


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