2022年11月02日 13:51

『ハイパーインフレーション』 ― 時代設定

『ハイパーインフレーション』は架空の世界を舞台にした作品だが、その世界は現実の歴史をかなり厳密に踏まえて構築されている。そこで一と先ず作中から辿れる限りのことを、最小限の推測を交えながら書いておく。



勿論作品を読むのにそんな小難しい考察(笑)が必要かという意見はあるだろうし、さらぬだに大方の読者にとっては分かりきった話の確認に過ぎないし、だから俺としても書くに値することかどうか迷うわけだが、例えば、ジャンプ+の同作のコメント欄で中世ヨーロッパがどうとかいう文言を目にしたことがあった。ドラクエによって流通し始め昨今のナーロッパにまで至る、なんかそれっぽいファンタジー世界は取り敢えず中世ヨーロッパ風と呼ぶというガバガバカテゴライズの悪癖だが、それにしても「この作品の舞台またはモデルは中世ヨーロッパじゃないですよ」という訂正は、一応誰かが口にしておくべきだろう。

或いは「1巻と2巻を読んだ」という岡田斗司夫が、以下のように言って『ハイパーインフレーション』を紹介していた

イギリスが世界を征服していた時代ぐらいの時代設定でですね、南米の、まあまあ、何かこうイギリスに滅ぼされつつある、まあスペイン、本当はスペインなんでしょうけど、保護されている国の男の子が、特殊な能力をもって経済で世界を支配しようとするみたいな話なんですよ。

岡田斗司夫というのは、随分昔から名前だけはよく耳にするが、具体的に何をやっていてどんな実績のある人なのか俺は未だに知らない。とは言えあれを読んでスペインと南米がモデルだと思うのは一般常識というレベルでダメだし、まして影響力のある人にそんな発言をされると、ちょっと困るのである。

結論的に言ってしまうと、時は1860年代、ヴィクトニア帝国のモデルは大英帝国、ガブール人は具体的に実在の民族をモデルにしたものではないが、地理的にはアフリカを想定したものと思われる。

簡単なところから行くと、例えば冒頭のオークションではチンパンジー、ライオン、カバが出品されている(1巻2話、4話)。ライオンとカバはダウーの幼少期にも登場していた(3巻14話)。いずれもアフリカの動物で、南米にはいない。

贋金づくりの罪の重さをフラペコが説明する場面で、流刑先の「遠くの植民地」にはコアラとウルルが描かれている(2巻12話)。オーストラリアはスペインではなくイギリスの植民地である。またヨーロッパ人が到達したのは17世紀以降のことで、中世にはまだ知られていない。

テクノロジーに関する言及は、時代の絞り込みを更に容易にする。グレシャムによると鉄道・蒸気船・電信があり海底ケーブルも敷設されている(2巻9話)。或いは自転車が流行し(4巻26話)、ネガポジ法(カロタイプ)のカメラも発明されている(4巻27-30話)。銃もきちんとした歴史的考証に裏付けられている……らしいのだが、但しこれについては俺に知識がないので、銃に自信ニキたちにお任せしたい。例えば:


或いは:

13. 名無しのあにまんch 2021年07月09日 05:50:51 ID:A5NDY2MjY
発射された弾丸がミニエー弾なとこに作者の考証のこだわりを感じる

43. 名無しのあにまんch 2021年07月09日 07:50:14 ID:MwNzAzMDk
>>13
薬莢が外れてないのは漫画的弾丸の描写でありがちだけど、ミニエー弾は例外的に薬莢が外れない構造の弾丸なんだよな

118. 名無しのあにまんch 2021年07月09日 16:21:11 ID:k0NTE1Mjc
>>43

或いはまた:

9. 名無しのあにまんch 2022年09月16日 07:18:07 ID:c2NDM3MzY
雨が降ってる状況だけど、この時代の銃って水に濡れても使用できたっけ?

31. 名無しのあにまんch 2022年09月16日 10:36:54 ID:E5OTI1MDg
>>9
第一話でエンフィールド銃が描写されてるんだけど、これが1853年に発明された銃。
銃用雷管が発明されたのが1830年で、これより以前のホイールロック式・フリントロック式の銃は雨などの湿気で不発になる事があった。
結論から言うとあの時代の銃は雨に濡れても使えますッ!

【感想】ハイパーインフレーション 46話 近くにいるのに逢えない…!【ネタバレ注意】 : あにまんch

19世紀後半のヨーロッパの知識人にとって最も議論を呼ぶ話題の一つは進化論だったが、ルークは既にこれを耳にしているし(2巻7話)、また「今の時代 新聞はメディアの王様だ」(4巻32話)と言うレジャットとの新聞を巡る情報戦はまさに時代を映し出している。ポーを嚆矢とする探偵小説というジャンルの発生には新聞というメディアの勃興が並行し且つ深く関わっているが、「マリー・ロジェの謎」(1842年)は新聞を集めて読み漁ることで事件の真相に迫るという情報戦であった。

現実の世界史の流れと突き合わせても、1860年代という推定はいよいよ動かし難く思える。例えばヨゼンの故国である「極東の島国」(3巻17.5話)が日本をモデルにしていることは、ヨゼンのサムライ風キャラデザと、日本列島を逆さまにした島国の地形から推測できるが、その国は「外国との交易を制限」(3巻17話)し、内戦状態にあり、ヨゼンは植民地化されることを危惧している(3巻18話)。

ガブール人はヴィクトニア帝国本土の南方にある大陸から、奴隷として西方の大陸へと運ばれていたことが1巻5話で地図入りで説明されている。更に帝国が「アヘンと武器と奴隷」を世界中に売って儲けていることは1巻1話で既に説明がある。誰がどう読んでも典型的なイギリス・アフリカ・中南米の三角貿易であり、普通はスペインを連想したりはしない。ここで奴隷にされたのはアフリカ人であり、中南米のインディオではない。

また帝国の犯罪組織はアヘンチンキを密売している(4巻31話)。ド・クインシー『阿片常用者の告白』(1822年)からアヘン戦争(1840-42年)、ボードレール『人工楽園』(1858年)にまで至るアヘンの流行も、この時代の出来事である。

さて最後に、「仮構の独立小宇宙」(大西巨人)たる作品の読解に当たってはモデルとなった現実を参照することに慎重であるべきだと俺は思っているので、1860年代の史実には整合しない、つまり改変された形で作品世界に取り込まれた要素についても触れておこう。

例えば作中で奴隷貿易が禁止されたのは物語の現在時の7年前(1巻2話)だが、史実上のイギリスが奴隷貿易を禁止したのは19世紀初頭だから、この点はややずれがある。

ゼニルストン自治領は、ヴィクトニア帝国本土の西方に位置するという条件などからアイルランドのイメージが投影されているようにも思えるが、相対的に虚構度が高く、特定の国家や地域をモデルとして想定する必要はあまりない。そもそもガブール人という架空の民族の造形自体に、アフリカ人・アイルランド人・ユダヤ人といった複数の要素が絡み合っていると考えられることは先日書いた通りだし、その上「白い髪や赤い目 少し尖った耳」(1巻1話)という、北欧神話におけるエルフ(の、現代日本のサブカルチャーにおける受容)を思わせる外見的な特徴までが付与されているのである。この点については、黒い肌に縮れた毛などと設定するとポリコレ的にアレだからという商業的な配慮もあるのかも知れないが、寧ろ史実上の被差別人種に差別する側の美化された自己イメージを重ねたことに作品論的な意義を読み取る方が生産的だろう。

少年時代のフラペコの故国における「人類が初めて体験した急速なインフレ」(5巻36話)下での、コーヒーが飲んでいる間に値上がりする、紙幣を燃料や壁紙に使うといった逸話は、これもやや時代を先取りして、第1次大戦後のドイツにおけるハイパーインフレーションから借用されている。

なおフラペコがグレシャムと出会ったのは「15年前」で、その時は「革命で故郷を追われた孤児」(2巻13話)だったというが、これは1848年革命を指すものと考えるとしっくり来る。フラペコの故郷についてはゼニルストンと同じで具体的な国名を持ち出して考える必要性は乏しいが、ただ1848年革命の余波の中で多くの没落貴族が国を失って社会の底辺をうろつき回り、時にニーチェと同時代の世紀末的ニヒリストのような人生観を形成していたことは確かである。道義も国家も法律もカネも信じられない、人生に意味などない(3巻21話)と断じるフラペコは、こうした極めて具体的な背景を与えられることでキャラとしての厚みを増している。

そして、だからこそそのニヒリズムが、銃口を向けられても命が大切だと言い張る「矛盾」(5巻45話)に行き着く姿は感動的である。作者が捏ね上げた架空の人物は勝手にブレて矛盾するものだし、逆にただ歴史に取材しただけの類型的人物は類型であるがゆえに決して矛盾しない。ところが類型と見えた人物が決定的な場面で矛盾を露呈してしまう、それこそがフラペコが一層の魅力をもって立ち現れる瞬間なのだが、それはまた現実の歴史的コンテクストを踏まえた時に初めて目にすることのできる光景なのである。


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