2023年07月06日 08:58

アナクシマンドロスのこと ― 後記

これらのエントリの元になるノートを書いた時の俺は、今の俺と同じく、仕事を辞めて無職になって暇で暇でしょうがなかった。そこで犬儒派の哲学者、シノペのディオゲネスについて改めて考えてみたいと思い立った。



これは更に遡ると、ソクラテスへの興味に端を発している。俺が大学で教え込まれたのは何よりもまず、哲学をやるならテクストを原典で正確に読めということで、なるほどと思ってその準備のためにギリシア語とラテン語の勉強ばかりやっていたら何も読めないままいつの間にか卒業してしまったのだが、ともあれ、この方法論による限りソクラテスのように著作を残さなかった哲学者の思想はそもそも研究のしようがないんじゃないか、というのが当時の俺の考えだった。

ところが社会人(つまり会社員)になって、こそげ取られた残り滓のような時間の中でプラトンを読み返していると、学生の頃は余り惹かれなかった初期の対話篇が妙に面白い。となると当然ながら、どうしてもソクラテスのことが気になる。そこで例えばヴラストス(Gregory Vlastos, Socrates: Ironist And Moral Philosopher, Cambridge UP, 1991等)、或いは吉本隆明『マチウ書試論』なんかを頼りに、著作のない思想家の思想に迫る術を手探りした。その時の一旦の結論は、簡単に言うと、まずはなるべく同時代に近い証言を蒐めるしかねえな、ということだった。

で話を戻すと、そうした経緯があった後、ディオゲネスについて考え始めた。この一種の畸人の逸話にはそれこそ遥か後世のラブレーや漱石やその他数多の著述家が言及しているが、ご本尊に最も近い記述となるとディオゲネス・ラエルティオスの第6巻第2章に尽きている。例えば『シノペのディオゲネスの書簡集』(Diogenis Sinopensis Epistulae, ed. R. Hercher)なんてのもあるが、これは後世の擬作(書簡文学)である。何はさて措きディオゲネス・ラエルティオスを読まねばならない。

しかしまあ、この哲学史家の方のディオゲネスも大概なのである。古文献を渉猟して後世に遺してくれたことは本当に難有い限りなのだが、それにしても明らかに相矛盾する記述を平然と書き写して並べたりしていて、実証的研究という態度に毒されきった俺の如き現代人はもうイライラしてくる。それでディオゲネスについて一と通り調べ終わったところで、この本を一度馬鹿正直に全部文字通りに受け取って読んでみるという背理法的な試みに着手した。その過程の副産物の一つが、今回なぜか、現代風に言うと「ノリで」、公開してみたアナクシマンドロスに関するノートなのである。

アナクシマンドロスはソクラテスとは違って「著作を残した哲学者」に分類され、一応、真正の著作断片なるものも伝えられている。その僅か数行の断片をひねくり回した挙げ句自分の思想を投影してしまうような真似だけは避けたいものだと思いつつ(何しろそれも「テクストを正確に読め」という訓えに反する)、とは言え依然貴重な手かがりではある。最も有名なのは、シンプリキオスの伝える以下の断片だろう:

存在する事物がそこから生成されるところの源へと、消滅もまた必然に従ってなされる。なぜなら、それらの事物は交互に時の定めに従って、不正に対する罰を受け、償いをするからである。(DK 12.B1)

後にニーチェ『ギリシア人の悲劇時代における哲学』を経てハイデガー『アナクシマンドロスの箴言』で主題化して扱われることになるこの一節は、事物の生成を「罰」と「償い」という法的・倫理的な用語で説いたという点で確かに決定的である。無論それは、近代科学の機械論的世界観と矛盾するものではなく、寧ろそれを準備するものである。自然哲学者たちは常に、熱と冷といった対立物の闘争と均衡、法則としての正義とそれによる世界の支配、といった戦争と政治のアナロジーで世界生成を語ってきたが、近代科学という思想も例えば法 = 法則(law)や「力」というメタファーから自由ではなく、観測と実験は単に手続き上の問題に過ぎない。或いは倫理学という学問はスピノザを例外とすれば恐らくストア派において夙にその命数が尽きており、今ではトロッコ問題と進化心理学の玩具でしかないが、その凋落の原因は善悪を世界生成の原理から切り離して扱うことができると勘違いしたこと、言い換えれば倫理学から形而上学的基礎付けが失われたことにあり、とするならアナクシマンドロスの上記の一節はまさに倫理学の起源だったのではないか……勿論こんな「解釈」は、ディオゲネス・ラエルティオスを馬鹿正直に読むという俺のプログラムにとって不要なことなので全部退けていて、だから終わってみて得たものも余りないわけだが、ただ負け惜しみを言うなら、アナクシマンドロスの姿は辛うじて視野に入ってきた。つまり、著作のない又は断片しか伝わらない哲学者の捕まえ方がようやく少し分かってきた。

例えばエンペドクレスである。この男は、哲学史の教科書に従ってピュタゴラス派やプラトンとの相互影響下で四大を元素とする自然哲学を唱えた思想家と言っても良いし、或いは魔術師としての側面を強調する研究者もいる(例えばPeter Kingsley, Ancient Philosophy, Mystery, and Magic: Empedocles and Pythagorean Tradition, Oxford UP, 1995)。しかしディオゲネス・ラエルティオスの伝える雑多な逸話を愚直に読み解く限り、俺が思い描くのは山師としてのエンペドクレスなのである。ヘルダーリン、芥川、或いはストローブ = ユイレ等がみんなそれぞれのイメージを投影してきたが、そういうのじゃないんだよ、あいつはもっと胡散臭い奴だったんだよ、と言いたい。

或いはエピクロスが「レウキッポスというような哲学者は存在しなかったとさえ言っている」(Diog. Laert. 10.13)という文章の意味が俺は初め分からなかったのだが、註釈をあれこれ参照すると、これは要するにお前の説はレウキッポスの剽窃ではないのかと指摘されたエピクロスが「は? レウキッポスなんて奴はいなかったのだが?」とスットボケたというクズエピソードなのである。こういう逸話を伝えてくれているのは心強い。ピュタゴラスは207年間冥界で過ごした後この世に生まれ変わったと自ら語っていたそうだが(8.14)、同時にヘルミッポスによる以下のような証言も伝えられている:ピュタゴラスは諸国遍歴の後実家に帰るや、母親に「これから先起こった出来事は全部日付も添えて板に書いて渡してくれや」と言って地下室に籠もった。そうしてこどおじ生活を送った後、おもむろに民会に姿を現すと「ずっと冥界に行っとって今帰ってきたとこやで~」と得々として語り、人々は大感激、ピュタゴラスは神の如き人物だと信じたのである――と(8.41)。

無論これらは、プルタルコスが『英雄伝』で採った方法論が寧ろその土壌から生まれたとも思われるギリシア人の「逸話好き」という(悪)癖と深く関係しているに相違ないが、しかしまた、テクストという物質のみを頼りに思想というあやふやで移り変わりやすく本来いい加減なものを捉えるための道であることは否定し難いと思う。若き古典文献学者ニーチェは言った、「人間は書物よりもはるかに注目に値する」(『プラトン対話篇研究序説』)。



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