マンガ

2022年10月20日 03:01


と適当なことを先日書いたが、しばらく出番がなくなっているハル姉を軸に読み返しても面白い。例えば第1話では次のように発言している:

「産業を興すことがどういうことか… 儀式や祈りの時間 友人や家族と過ごす時間を失うわ」

「代わりに帝国のために働くことになる…… それは奴隷になるのとどう違うの?」

ここからまず読み取れるのは、ハルが(他のガブール人たちと同様に)部族社会の住人であること、そして産業を興すことはそれが世界資本主義に呑み込まれ崩壊に至る道だと理解しているということである。そしてこの部族社会は、ルークが「俺たちは金貨なんてめったに使わないだろ」と言うように、経済的には互酬性の世界である。

ルークはこれに対し「ハル姉はハル姉のやり方でみんなを守ろうとしてるんだな なら俺はカネでみんなを守るよ」という立ち位置を取る。「産業を興す」という言い方は村の工業化・製造業化、つまりモノを生産して売って利益を得る行為を指すように思えるし、実際「ルークには罰として本物の金貨づくりに従事してもらいます」と言うハルはそのように理解しているのかも知れないが、しかしルークが目指すところは異なる。上記の引用の直後に村人たちがルークについて証言するのは、いずれも生産ではなく売買にまつわるエピソードである:

「この子はルークが帝国の商人から買った薬で助かった!」
「獲った魚を高く売ってくれたわ」
「ルークの買ってくれた嫁入り道具で娘は結婚できた」

これはすぐ次の場面でグレシャムが首長に武器を売って「奴隷の密貿易」で儲けようとしていることと照応しているのだが、ルークが求めるのも「商談」、つまり産業資本ではなく商人資本のレベルでヴィクトニア帝国の収奪に抵抗することなのである。

なお「新通貨発行――一万ハル!!」は、シリアスなタッチで進んできたこの第1話が急転直下してギャグになる場面であることは勿論なのだが、同時に「力」を手に入れたルークの夢見る先、最後に位置する欲望の対象が描かれる場面でもある。ガブール神の問いかけに答えてルークはまず「ハル姉を助けたい」というシスコン的愛慕、次に「ガブール人みんなを幸せにしたい」つまり帝国の収奪・奴隷狩りからの解放、そして「カネが欲しいッ!!」と3つの欲望を段階的に語る。これらの欲望が綜合されたものが、通貨発行権をもつ独立国家の「一万ハル」というイメージで形象化されているのである(つくづく思うが、もうこれだけで凄まじいセンスだ)。

さて第7話では、「相手に得させて自分も得する」というルークの考える「『商売』の理想」をハルが称賛している:

「すごい すごい!! 偉いよルーク!!」

「ルークのこと応援するよ!!」

何気ない姉弟の会話のようだが、第1話を踏まえて読むとこれは微妙に噛み合っていない。すなわち、ルークは帝国による収奪に代表される「争い」ではなく「商売」、流通過程において剰余価値が発生するためWin-Winで「二倍勝つ」ことが可能な市場経済の原理を選択する。これに対しハルは「争い」の反対を単純な互酬性と理解しているようである。互酬性とは、言ってみれば慣習や感情(ニーチェの言う負い目 = 負債)によって成り立つWin-Winだからである。

第20話はゼニルストン自治領というプレイヤーが登場する重要な回だが、ハルはそこにおいて「身分を明かしていないのに もう奴隷たちに慕われている」とされ、更に進んで第29話では「奴隷たちを元気づけるために 巫女の身分を明かし救世主伝説を語っている」とも語られる。これはルークが個人崇拝的でファナティックなガブール人信者集団を従えるのとは別の形で、ゼニルストン自治領におけるガブール人奴隷コミュニティという互酬的部族社会からナショナリズムが生まれつつあることを示唆するごとくである。

この第29話以降、ハルは最新第48話まで僅かな回想を除いては登場していない。読者はハルを囚われのお姫様という記号と見ても良いし、或いはネット上をふらふら見て回ると、ゼニルストンで独立勢力化するとか、極端な場合ルークと対立することになるといった予想も目にする。確かに地図上でも帝国の西に位置するゼニルストン自治領がアイルランドをイメージして創作されていると考えるなら、ハルに率いられた一党がフェニアンのような民族主義集団に行き着くという空想は面白い(ちなみにガブール人という架空の民族の造形には、「迫害と400年続いた奴隷貿易でガブール人は世界中に散らばった」〔第4話〕という設定から三角貿易におけるアフリカ人、新大陸に大挙して移民したジャガイモ飢饉以降のアイルランド人、或いはひょっとすると、商売が好きなルークや金貸しのクルツといったキャラクターの源泉としてユダヤ人、といった複数の要素が絡み合っていることが想定できる。この辺についてはまた別途書きたい)。はたまた、人形になったりラスボスになったりする『北斗の拳』のユリアの壮大なパロディだったりしても、それはそれで面白い。

まあ俺自身は、物語の先の展開を予想して楽しむ趣味はないので何も考えずに次回の更新を待つだけなのだが、とは言え、与えられた限りでの作品から読み取れることはもう少しありそうである。例えば第20話および第29話を読み返すと、ゼニルストン自治領は農業を主な産業としながら農作物を買い叩かれているという経済問題を抱えており、そのため帝国に対抗しうる「兵器級の『力』」を求め、「ガブール人の奴隷に苦痛を与えることで人為的に特別な『力』を開花させる計画」を進めている。しかし計画は成功に至っていない。ハルが登場するのはここにおいてである:

「巫女は特別な『力』の秘密を知っているという だからわざわざ遠くから巫女を取り寄せたのだ」

「巫女から秘密をすべて聞き出さねばならん!!」「計画は秘密を聞き出してからだ!!」

『ハイパーインフレーション』という物語においては、各人の持つ情報の非対称性が決定的なドライバとして機能する。例えばレジャットは「普通のガブール人は特別な『力』の存在すら知らないが 奇跡によって救われたという救世主伝説は知っている」という情報の格差を利用してガブール人奴隷たちを扇動し(第4話)、奴隷船でのルークは「レジャットは俺の贋札の番号を探っている!! だけど『そのことに俺が気づいていること』にレジャットは気づいていない!!」という一点において情報戦で優位を得る(第13話)。同様に異能についても「ガブール人の中から奇跡を起こす救世主が現れる」「救世主は特別な『力』を持つ」、そして「特別な『力』には『秘密』がある」という少なくとも3つの情報レベルが区別されており、ゼニルストン自治領の奴隷所有者たちの狙いはハルが知っている「秘密」なのである。

「特別な『力』の秘密」が何を指すのかは、分からない。俺は当初「力」が生殖能力と引き換えであるということを指すのかと思っていたのだが、しかし第11話によるとレジャットはそれを巫女から聞き出して既に知っていて、その上でルークを帝国に持ち帰って研究しようとしているのだから、だとするとどうも違うような気もする。何にせよ、作品が明示的に語っていないことを俺が語ってはいけない。

ただこの用語が初めて現れる第4話では、秘密を探りに来たレジャットに対し、巫女たちの中でハルだけが「何も話さなかった」と言われている。つまりハルは、ルークとは異なる社会経済的原理に立脚しつつ、しかし同様に信者集団を率いており、且つ情報においても別種の優位性を保持している。登場する場面の圧倒的な少なさにも拘らず、とりわけルークとの対比において、整理すると以下のようにかなり明瞭な輪郭が浮かび上がってくるようである:

経済原理信者集団専有する情報
ルーク商人資本個人崇拝ハイパーノートの番号
ハル互酬性ナショナリズム特別な「力」の秘密

と考えると最新第48話でハイパーノートの番号が遂にバレるというのは、当面の「攻守!! 交代!!」という以上に大きな意味を持つ物語上の転換点なんだけど、ここからどう展開するのかはいつも通り読者には全く読めない。俺がごちゃごちゃ考えたことも全部引っ繰り返されるかも知れない。


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